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歴代総理大臣の在任期間ランキング・ワースト順で解説!ワーストの理由(背景)や短命政権の共通事項とは?

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歴代首相の通算在職日数の多い人ランキング、少ない人ランキングを作成しました。それぞれ退任時の年齢や在職時期も項目にくわえています。

なお、在職日数はそのときの政治状況によって大きく左右されるため、在職日数の長さ=首相としての能力という前提にはしておりません。

※関連記事:歴代内閣総理大臣の一覧

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歴代総理大臣の在任期間ランキング

歴代首相の通算在職日数の多い順にランキングにしました。数次にわたって組閣した人が多く、最終的な首相退任時の年齢も項目に加えました。

初代内閣総理大臣・伊藤博文

※関連記事:歴代内閣総理大臣の出身地別人数

1~10位

歴代首相の通算在職日数ランキング1~10位は以下のとおりです。

順位氏名通算在職日数退任時年齢
1位安倍 晋三3,18865歳
2位桂 太郎2,88665歳
3位佐藤 榮作2,79871歳
4位伊藤 博文2,72059歳
5位吉田 茂2,61675歳
6位小泉 純一郎1,98064歳
7位中曽根 康弘1,80669歳
8位池田 勇人1,57564歳
9位西園寺 公望1,40063歳
10位岸 信介1,24163歳
首相官邸HPをもとに作成

上位10位のうち3名は主に明治時代に首相を務めた人たちです。伊藤博文、桂太郎、西園寺公望。

【関連記事】
初代内閣総理大臣・伊藤博文は何をした人か|幕末から明治にかけての評価と暗殺事件の経緯を解説
内閣総理大臣・桂太郎の経歴と功績:生い立ちや西園寺公望との関係性、総理大臣としての評価を紹介
内閣総理大臣・西園寺公望の生涯と業績:自由主義の政治家と立命館大学の開祖

彼ら以外の7名は全員戦後に首相を務めています。

大正時代のはじめから太平洋戦争終結までの約30年間に、政治の中心人物が短期間で変わっていたことが伺えます。それだけ政治的な変化のはげしい時代だったと言えそうです。

また、長く務めていたにもかかわらず、退任時の年齢はほぼ60代です。65歳までの退任が7名で、70歳以上は2名だけでした。

年齢的に、首相退任にまだまだエネルギーが残っていたと思われます。

11~20位

11~20位は以下のとおりです。

順位氏名通算在職日数最終退任年齢
11位山縣 有朋1,21062歳
12位原 敬1,13365歳
13位岸田 文雄1,09464歳
14位大隈 重信1,04077歳
15位近衞 文麿1,03550歳
16位東條 英機1,00959歳
17位松方 正義94363歳
18位橋本 龍太郎93261歳
19位田中 角榮88656歳
20位鈴木 善幸86471歳
首相官邸HPをもとに作成

1~10位までとは違い、11~20位は戦後の首相が4名と少数派になります。16位までは山縣有朋、原敬、大隈重信、松方正義、近衞文麿など、明治時代から太平洋戦争終結までの時代に首相を務めた人たちがずらっと並びます。

3代内閣総理大臣・山縣有朋

【参考】
3代内閣総理大臣・山縣有朋は何をした人か:日本近代政治・軍事体制の確立に貢献した指導者を解説内閣総理大臣・大隈重信の生涯と業績:早稲田大学創設や政治家としての足跡を生い立ちから解説
内閣総理大臣・松方正義の生涯と政治家としての業績:日本銀行設立と松方デフレなど財政政策と後世の影響

なお、11~20位も65歳以下での退任が10名中8名です。

※関連記事:大臣の格付けランキング:歴代内閣総理大臣が何の大臣をしていたことが多いかを紹介

在任期間の長かった総理大臣が政治に与えた影響

長期政権を担った総理大臣、特に吉田茂や安倍晋三のような総理大臣は、日本の政治と社会に大きな影響を与えました。

それぞれの総理大臣が行った改革や政治の方向性をまとめ、現代日本の基盤がどのように構築されてきたかを知る手がかりを考えてみました。

吉田茂政権

吉田茂は、第二次世界大戦後の日本の再建と平和を基軸にした政策を進めました。特に1946年から1954年にかけて複数回にわたり首相を務め、5期合計で7年以上の在任期間を持ちました。

吉田政権の主な特徴と影響を以下に示します。

平和主義と憲法の基盤形成

吉田は、戦後日本の復興を平和的手段で進めるため、憲法第9条の平和主義を重視しました。この憲法のもとで日本は戦力の放棄を宣言し、「経済的繁栄を通じた国際協調」を政策の中心に据えました。吉田の平和主義は、日本の国際社会での再認識を助け、経済成長に向けた安定基盤を築きました。

なお、平和主義は日本国憲法が定める基本三原則のひとつです。以下の記事でくわしく解説しています。
日本国憲法の三原則とは?基本理念や歴史的背景、現在の課題まで徹底解説

経済復興政策

吉田は経済優先の復興政策「吉田ドクトリン」を提唱し、防衛費を最小限に抑える一方で、産業と経済の再建に重点を置きました。

この政策は日本の高度経済成長の基盤を築き、戦後の日本経済を世界有数のものへと押し上げました。この経済基盤の確立は、日本がその後も長期にわたって安定的な成長を遂げる礎となり、世界的な経済大国としての地位を確立する助けとなりました。

​なお、歴代内閣の功績や在任期間を以下の記事にまとめています。
歴代総理大臣の一覧表:伊藤博文から現役の首相まで在任日数や在任期間などのまとめ

安倍晋三政権

安倍晋三は、2006年と2012年から2020年にわたり、合計して日本史上最長の首相在任期間を持ちました。特に第二次安倍政権(2012-2020)は、日本の政治・経済の改革において大きな影響を残しました。

歴代総理大臣の在任期間をランキング形式で以下の記事にまとめています。
歴代総理大臣の在任期間ランキング・ワースト順で解説!ワーストの理由(背景)や短命政権の共通事項とは?

アベノミクスの実施

安倍政権の代表的な政策「アベノミクス」は、金融緩和、財政出動、成長戦略の「三本の矢」による経済活性化を目指したものでした。この政策はデフレからの脱却を目指し、国内経済の成長を図るもので、株価上昇や雇用改善など一定の成果を挙げました。

ただし、根本的な経済構造改革や少子高齢化対策の成果には課題も残りました。

安倍総理は、安全保障政策において「積極的平和主義」を掲げ、同盟国との連携強化や国際社会での日本の役割拡大を推進しました。特に日米同盟の強化を図り、集団的自衛権の限定的行使を可能にする「安全保障関連法」を制定しました。

この政策は日本の防衛力向上と、国際的な責任を担う国としての地位向上に寄与しましたが、憲法改正問題や自衛隊の役割拡大については賛否が分かれました。

憲法改正の方針

安倍総理は憲法改正を政権の重要課題とし、特に憲法第9条に自衛隊の存在を明記することを目指しました。

彼の主張は、憲法と現実の自衛隊の活動の齟齬を是正し、日本の独立的な防衛力を明示することにありましたが、改正に至ることはできませんでした。この意図は今もなお憲法改正議論に影響を与え続けています。

まとめ

吉田茂と安倍晋三の長期政権は、それぞれの時代の国際情勢や国内のニーズに応じた政策を打ち出し、戦後日本の平和主義や経済成長、現代の安全保障体制に大きな影響を与えました。

吉田総理の経済再建と平和主義、安倍総理の積極外交と経済活性化策は、それぞれ日本の政治と社会の基盤を築き上げ、日本の国際的な立場にも影響を与えました。

歴代総理大臣の在任期間ワーストランキング

つづいては、通算在職日数の逆ランキング、つまり短い首相順に並べてみました。

在職時期が特徴的なので、いつからいつまで在職していたのかを項目に加えています。

※関連記事:衆議院の解散はなぜやるのか?:郵政解散やハプニング解散などの実例を上げながら解説します

1~10位

氏名在職期間通算在職日数
1位東久邇宮 稔彦王1945年8月17日~1945年10月9日54
2位羽田 孜1994年4月28日~1994年6月30日64
3位石橋 湛山1956年12月23日~1957年2月25日65
4位宇野 宗佑1989年6月3日~1989年8月10日69
5位林 銑十郎1937年2月2日~1937年6月4日126
6位鈴木 貫太郎1945年4月7日~1945年8月17日133
7位阿部 信行1939年8月30日~1940年1月16日140
8位犬養 毅1931年12月13日~1932年5月26日156
9位清浦 奎吾1924年1月7日~1924年6月11日157
10位米内 光政1940年1月16日~1940年7月22日189
首相官邸HPをもとに作成

通算在職日数の短い首相10名のうち4名は2か月前後で退陣していました。

特徴的なのは、1933年国際連合脱退から1945年太平洋戦争終結の12年間に10名のうち6名が固まっている点です。激動の時代で、政治のかじ取りが非常にむずかしかったことが伺えます。

なお、「何もせんじゅうろう内閣」と揶揄された林銑十郎内閣は5位で、4か月はもちこたえていました。4位の宇野内閣とくらべて約2倍の長さです。

歴代首相の通算在職日数ワースト10のグラフ

11~20位

氏名在職期間通算在職日数
11位高橋 是清1921年11月13日~1922年6月12日212
12位芦田 均1948年3月10日~1948年10月15日220
13位幣原 喜重郎1945年10月9日~1946年5月22日226
14位平沼 騏一郎1939年1月5日~1939年8月30日238
15位小磯 國昭1944年7月22日~1945年4月7日260
16位細川 護煕1993年8月9日~1994年4月28日263
17位鳩山 由紀夫2009年9月16日~2010年6月8日266
18位片山 哲1947年5月24日~1948年3月10日292
19位廣田 弘毅1936年3月9日~1937年2月2日331
20位麻生 太郎2008年9月24日~2009年9月16日358
首相官邸HPをもとに作成

通算在職日数の短いランキング1~10位のうち6名が、1933年国際連盟脱退から1945年太平洋戦争終結の期間に首相を務めた人たちでした。

11~20位でもこの傾向はつづき、さらに5名が1933年~1945年の間です。

また、逆ランキング20位の麻生首相も在職日数は358日とほぼ1年間務めています。

※関連記事:歴代の法務大臣の一覧

歴代最短の総理大臣とその背景

歴代最短の在任期間を持つ総理大臣は、昭和時代の東久邇宮稔彦王と平成時代の羽田孜です。それぞれの在任期間と背景について詳しく見ていきます。

昭和最短:東久邇宮稔彦王

在任期間:1945年8月17日〜10月9日(54日間)

背景:東久邇宮稔彦王は、第二次世界大戦の終結直後に日本初の皇族出身の総理大臣として就任しました。彼が総理に任命された理由には、敗戦国としての日本が国民に受け入れられる安定的な指導者を求めた点があります。

東久邇宮の使命は、戦後の復興と国民の戦争終結への理解を深めること、そして、国体の護持を図ることでした。

しかし、GHQ(連合国軍総司令部)の指示により、非軍事化や民主化が急速に進められる中で、旧体制に固執する姿勢が見られた東久邇宮はわずか54日間で退陣することとなりました。

平成最短:羽田 孜

在任期間:1994年4月28日〜6月30日(64日間)

背景:羽田孜は日本新党などの連立により成立した細川護熙政権の後継として総理大臣に就任しました。しかし、羽田政権は発足当初から連立の主力であった社会党の協力を得られず、政権基盤が極めて不安定な状況にありました。連立与党内の不和と、国会運営の難航からわずか64日間で辞任し、後に自民党を中心とした村山富市内閣に交代しました。

この短命政権は、日本の政党政治の流動性と、連立の脆弱さを象徴する出来事としても知られています。

短命内閣に共通する点

短命内閣に共通する点には、以下のような政治的・社会的要因が挙げられます。

困った顔の初老男性(首相)

※関連記事:内閣総理大臣の役割とリーダーシップ:長期政権と短命政権の違いを実例をまじえて解説

内閣の支持基盤の弱さ

短命内閣は、しばしば政治基盤が不安定で支持が得にくい状況にあります。たとえば、羽田孜内閣は、連立与党の間での対立により政権基盤が弱体化しました。

また、宇野宗佑内閣も、前任の竹下内閣のリクルート事件による影響で自民党への支持が大幅に低下しており、短命に終わりました。

支持基盤が弱いと、政策実行や国会運営が難航し、早期退陣に追い込まれやすくなります。

重大な健康問題

健康上の理由で内閣を短期間で終えざるを得なかった例もあります。石橋湛山内閣はその典型で、1957年に脳卒中で倒れたことで辞任し、在任期間は65日間に留まりました。

首相の健康問題は、政治の不安定化を招く原因となり、結果的に政権の短命化に繋がることがあります。

緊急事態や外圧の影響

戦時中や戦後直後の緊急事態や外圧も、短命内閣の背景に見られます。東久邇宮稔彦王や鈴木貫太郎内閣は、戦争末期や終戦直後に設立され、日本の復興や対外関係の再建に迫られた状況にありました。

GHQ(連合国軍総司令部)の指導に従わざるを得ず、自主的な政権運営が困難であったため、短期間で退陣を余儀なくされています。

経済問題や政策への批判

林銑十郎内閣や犬養毅内閣も、厳しい経済状況や政策への批判が要因で短命に終わりました。

たとえば、犬養毅内閣は五・一五事件で暗殺される形で終焉しましたが、軍部との対立や当時の経済問題の解決が困難であったことも背景にあります。林銑十郎内閣も財政政策への批判にさらされ、政治的に困難な立場に追い込まれていました。

政権交代のタイミングと連立の不安定さ

短命内閣の多くは、政権交代の移行期や連立政権の不安定さに影響されています。清浦奎吾内閣は、政党政治の過渡期にあり、短命に終わりました。

政権交代期には、党内の対立や議会での支持確保が困難となり、短期間での政権交代が発生しやすくなります。

歴代内閣総理大臣の通算在任期間の平均日数

最後に、通算在職日数の平均をみてみます。

首相をつとめた人(現職除く)は64名(のべ102名)おり、平均の通算在職日数は849日でした。

そのうち、平均以上の首相は19名、平均未満の日数だった首相は55名です。

通算平均日数849日
平均以上の首相(名)19
平均未満の首相(名)55

平均すると1人2年3か月ほど首相を務めた計算ですが、2年3か月首相を務められた人のほうが実は少数派です。

安定にはほど遠いお仕事です。

※関連記事:歴代内閣の最低支持率ランキング

歴代内閣総理大臣の足跡がわかる本

歴代首相の功績や人柄についてくわしい本を2冊紹介します。

※関連記事:歴代内閣の最低支持率ランキング

『今だから言えること 歴代首相の素顔が語る、日本の光と影』

歴代首相の人柄や裏話が書かれているシリーズです。

著者は元朝日新聞編集委員で政治評論家、ジャーナリストをしていた国正 武重氏です。

『湾岸戦争という転回点』(岩波書店)で日本記者クラブ賞を受賞し、『権力の病室―大平総理最期の14日間』(文藝春秋)、『後藤田正晴語り遺したいこと』(岩波書店)など、多数の著作があります。

小沢一郎氏・菅直人氏・鳩山一郎氏/由紀夫氏親子・田中角栄氏など↓


今だから言えること 歴代首相の素顔が語る、日本の光と影

細川護煕氏・田中角栄氏・野田 佳彦氏など↓


今だから言えること2 歴代首相の素顔が語る、日本の光と影 今だから言えること 歴代首相の素顔が語る、日本の光と影

野田佳彦氏・安倍晋三氏・土井たか子氏・宇野宗佑氏など↓


今だから言えること3 歴代首相の素顔が語る、日本の光と影 今だから言えること 歴代首相の素顔が語る、日本の光と影

竹下登氏・宮澤喜一氏・加藤紘一氏など↓


今だから言えること4 「何故、伊東正義さんは、総理大臣のイスを蹴飛ばしたのか」 今だから言えること 歴代首相の素顔が語る、日本の光と影

出版社:ArsLonga

『増補新版 歴代首相物語』

伊藤博文氏から安倍晋三氏まで、主要な経歴・事績・エピソードを当時の国際情勢や政治状況をふまえて紹介してくれています。


増補新版 歴代首相物語 (ハンドブック・シリーズ)

出版社:新書館

ビジネス英語 スタディサプリEnglish

まとめ

いかがでしょうか。

歴代首相の通算在職日数をランキング形式で紹介しました。

上位10位以内には安倍元首相、小泉元首相など戦後の首相が多くランキングしています。逆に、通算在職日数の短かった首相の多くは1933年の国際連盟脱退から1945年の太平洋戦争終結までの時期に首相を務めた人たちでした。

時代によって首相の立場の安定性が変わることが分かります。

※関連記事:歴代内閣総理大臣と当時の時代背景(年表)

【参考】
首相官邸HP
国立国会図書館

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