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歴代の文部科学大臣と文部大臣の一覧とランキング|その役割と注目人物を徹底解説

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内閣の大臣職のひとつである「文部科学大臣」。財務大臣や外務大臣、内閣官房長官ほどはクローズアップされない印象がありますが、国の人材を育成するための重要な役割です。

そんな歴代の文部科学大臣や文部大臣を一覧で紹介します。通算在職日数や所属内閣も一緒に一覧化しています。

また、歴代でも文部科学大臣・文部大臣を長く務めた人をランキング形式で10人紹介します。
※現役の大臣はランキングから除外しています。

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  1. 文部大臣と文部科学大臣の違いとは?
    1. 文部大臣の役割と歴史
    2. 文部科学大臣の役割
      1. 教育政策の推進
      2. 国際教育交流と協力
      3. 科学技術と学術の振興
      4. 文化の振興
      5. スポーツの振興
  2. 歴代の文部科学大臣・文部大臣の一覧
  3. 文部科学大臣・文部大臣の在任日数ランキング
    1. 1位:岡田 良平氏(1766日)
    2. 2位:芳川 顕正氏(1550日)
    3. 3位:橋田 邦彦氏(1464日)
    4. 4位:西園寺 公望氏(1351日)
    5. 5位:中橋 德五郎氏(1345日)
    6. 1~10位の一覧
    7. 通算在任日数が短い
    8. 首相経験者は2人しかいない
  4. 歴代文部大臣の中で評価されたTOP4
    1. 森有礼(もり ありのり)
    2. 灘尾弘吉(なだお こうきち)
    3. 牧野伸顕(まきの のぶあき)
    4. 与謝野馨(よさの かおる)
  5. 歴代文部科学大臣の中で注目されたTOP3
    1. 伊吹文明(いぶき ぶんめい)
    2. 萩生田光一(はぎうだ こういち)
    3. 時代ごとに見る文部大臣・文部科学大臣の役割の変化
      1. 戦前・戦後の文部大臣の役割とその影響
      2. 文部科学省設立後の文部科学大臣の課題と成果
    4. 日本の教育と未来を支える文部科学大臣像
      1. 次世代の文部科学大臣に求められる資質とは?
      2. 女性文部科学大臣の活躍とその意義
  6. Q&A: 歴代文部大臣と歴代文部科学大臣に関する疑問
    1. Q1: 文部大臣から文部科学大臣になって何が変わりましたか?
    2. Q2: 歴代文部大臣の中で特に評価されている人物は誰ですか?
    3. Q3: 歴代文部科学大臣で注目された人物は誰ですか?
    4. Q4: 文部大臣と文部科学大臣が担った具体的な役割の違いは?
    5. Q5: 今後の文部科学大臣にはどのような資質が求められますか?
    6. Q6: 文部大臣と文部科学大臣の歴史的な違いは何ですか?
    7. Q7: 歴代文部科学大臣の中で、特に科学技術政策で評価された人物は?
  7. まとめ

文部大臣と文部科学大臣の違いとは?

文部大臣は、戦後の日本において教育や文化行政を主導した大臣であり、戦前から戦後にかけて教育政策を形成してきました。

一方、文部科学大臣は2001年に文部省と科学技術庁が統合されて誕生した文部科学省の長で、教育だけでなく科学技術政策や研究振興も担います。

この違いは、日本の行政機構改革と時代のニーズを反映したものです。

文部大臣の役割と歴史

文部大臣は、1871年の文部省設立に伴い誕生しました。明治時代の文部大臣は、初等教育の普及や学校制度の確立に尽力し、義務教育制度の基盤を築きました。

初代文部大臣・森有礼

戦前の文部大臣は教育を通じて国家思想の育成を重視し、教育行政が国家政策と深く結びついていました。

戦後は、新憲法の理念に基づき教育基本法が制定され、教育の民主化が進みました。文部大臣は義務教育の充実や大学の設立などに注力し、教育政策の中心的役割を担いました。

文部科学大臣の役割

2001年の中央省庁再編により、文部省と科学技術庁が統合され、文部科学省が設立されました。これにより誕生した文部科学大臣は、教育行政に加え、科学技術の研究開発や国際的な学術交流の促進といった広範な政策を担当しています。

ビジネススーツを着て笑顔の初老男性

近年は、少子化や教育のICT化への対応、科学技術立国を目指す政策推進など、新たな課題に直面しています。これにより、文部科学大臣は教育と科学技術を統合的に管理する重要な役割を果たしています。

教育政策の推進

小学校から高校までの教育方針を策定し、教育課程(カリキュラム)の編成と教育指導要領を作成します。そのなかには、教員の養成・研修プログラムの実施や学校施設の整備と安全確保も含まれます。

また、大学や短期大学、高等専門学校の設置認可や運営指導も行っています。

以下に、具体的な役割を簡単に紹介します。

国際教育交流と協力

国際教育交流プログラムの推進のため、海外の教育・研究機関との協力もします。

科学技術と学術の振興

研究開発やイノベーションを促進するための政策立案をします。研究機関や大学の研究支援をし、科学技術に関する国際協力や共同研究を推進します。

文化の振興

教育だけでなく、文化財の保護と保存、芸術活動の支援と推進も担当しています。

スポーツの振興

教育の一環で、国民の健康増進とスポーツ振興のための政策立案やスポーツ団体や選手の支援もします。

歴代の文部科学大臣・文部大臣の一覧

氏名担当内閣在職期間在職日数(日)
森 有礼文部大臣第一次伊藤内閣1885年12月22日1888年4月30日861
森 有礼文部大臣黒田内閣1888年4月30日1889年2月12日289
大山 巖文部大臣黒田内閣1889年2月16日1889年3月22日35
榎本 武揚文部大臣黒田内閣1889年3月22日1889年10月25日218
榎本 武揚文部大臣第一次山縣内閣1889年12月24日1891年5月6日499
芳川 顕正文部大臣第一次山縣内閣1890年5月17日1891年5月6日355
芳川 顕正文部大臣第一次松方内閣1891年5月6日1892年8月8日461
大木 喬任文部大臣第一次松方内閣1891年6月1日1892年8月8日435
河野 敏鎌文部大臣第二次伊藤内閣1892年8月8日1896年8月31日1485
井上 毅文部大臣第二次伊藤内閣1893年3月7日1896年8月31日1274
芳川 顕正文部大臣第二次伊藤内閣1894年8月29日1896年8月31日734
西園寺 公望文部大臣第二次伊藤内閣1894年10月3日1896年8月31日699
西園寺 公望文部大臣第二次松方内閣1896年9月18日1898年1月12日482
蜂須賀 茂韶文部大臣第二次松方内閣1896年9月28日1898年1月12日472
濱尾 新文部大臣第二次松方内閣1897年11月6日1898年1月12日68
西園寺 公望文部大臣第三次伊藤内閣1898年1月12日1898年6月30日170
外山 正一文部大臣第三次伊藤内閣1898年4月30日1898年6月30日62
尾崎 行雄文部大臣第一次大隈内閣1898年6月30日1898年11月8日132
犬養 毅文部大臣第一次大隈内閣1898年10月27日1898年11月8日13
樺山 資紀文部大臣第二次山縣内閣1898年11月8日1900年10月19日712
松田 正久文部大臣第四次伊藤内閣1900年10月19日1901年5月10日204
菊池大麓文部大臣第一次桂内閣1901年6月2日1906年1月7日1681
児玉源太郎文部大臣第一次桂内閣1903年7月17日1903年9月22日68
久保田 譲文部大臣第一次桂内閣1903年9月22日1905年12月14日815
桂 太郎文部大臣第一次桂内閣1905年12月14日1906年1月7日25
清浦 奎吾文部大臣第一次桂内閣1903年7月17日1903年9月22日68
清浦 奎吾文部大臣第一次桂内閣1903年9月22日1906年1月7日839
西園寺 公望文部大臣第一次西園寺内閣1906年1月7日1908年7月14日920
牧野 伸顕文部大臣第一次西園寺内閣1906年3月27日1908年7月14日841
小松原 英太郎文部大臣第二次桂内閣1908年7月14日1911年8月30日1143
長谷場 純孝文部大臣第二次西園寺内閣1911年8月30日1912年12月21日480
柴田 家門文部大臣第三次桂内閣1912年12月21日1913年2月20日62
奥田 義人文部大臣山本内閣1913年2月20日1914年4月16日421
大岡 育造文部大臣山本内閣1914年3月6日1914年4月16日42
一木喜 徳郎文部大臣第二次大隈内閣1914年4月16日1915年10月9日542
高田 早苗文部大臣第二次大隈内閣1915年8月10日1915年10月9日61
岡田 良平文部大臣寺内内閣1916年10月9日1918年9月29日721
中橋 德五郎文部大臣原内閣1918年9月29日1921年11月4日1133
中橋 德五郎文部大臣高橋内閣1921年11月13日1922年6月12日212
鎌田 英吉文部大臣加藤友三郎内閣1922年6月12日1923年9月2日448
犬養 毅文部大臣第二次山本内閣1923年9月2日1924年1月7日128
岡野敬次郎文部大臣第二次山本内閣1923年9月6日1924年1月7日124
江木 千之文部大臣清浦内閣1924年1月7日1924年6月11日157
岡田 良平文部大臣加藤高明内閣1924年6月11日1926年1月30日599
岡田 良平文部大臣第一次若槻内閣1926年1月30日1927年4月20日446
三土 忠造文部大臣田中義一内閣1927年4月20日1929年7月2日805
水野 錬太郎文部大臣田中義一内閣1927年6月2日1929年7月2日762
勝田 主計文部大臣田中義一内閣1928年5月25日1929年7月2日404
小橋 一太文部大臣濱口内閣1929年7月2日1931年4月14日652
田中 隆三文部大臣濱口内閣1929年11月29日1931年4月14日502
田中 隆三文部大臣第二次若槻内閣1931年4月14日1931年12月13日244
鳩山 一郎文部大臣犬養内閣1931年12月13日1932年5月26日166
鳩山 一郎文部大臣斎藤内閣1932年5月26日1934年7月8日774
斎藤 実文部大臣斎藤内閣1934年3月3日1934年7月8日128
松田 源治文部大臣岡田内閣1934年7月8日1936年2月1日574
川崎 卓吉文部大臣岡田内閣1936年2月2日1936年3月9日37
潮 惠之輔文部大臣廣田内閣1936年3月9日1937年2月2日331
平生 釟三郎文部大臣廣田内閣1936年3月25日1937年2月2日315
林 銑十郎文部大臣林内閣1937年2月2日1937年6月4日123
安井 英二文部大臣第一次近衛内閣1937年6月4日1939年1月5日581
木戸 幸一文部大臣第一次近衛内閣1937年10月22日1939年1月5日441
荒木 貞夫文部大臣第一次近衛内閣1938年5月26日1939年1月5日225
荒木 貞夫文部大臣平沼内閣1939年1月5日1939年8月30日238
河原田 稼吉文部大臣安部内閣1939年8月30日1940年1月16日140
松浦 鎮次郎文部大臣米内内閣1940年1月16日1940年7月22日189
橋田 邦彦文部大臣第二次近衛内閣1940年7月22日1941年7月18日362
橋田 邦彦文部大臣第三次近衛内閣1941年7月18日1941年10月18日93
橋田 邦彦文部大臣東條内閣1941年10月18日1944年7月22日1009
東條 英機文部大臣東條内閣1943年4月20日1944年7月22日460
岡部 長景文部大臣東條内閣1943年4月23日1944年7月22日457
二宮 治重文部大臣小磯内閣1944年7月22日1945年4月7日260
児玉 秀雄文部大臣小磯内閣1945年2月10日1945年4月7日57
太田 耕造文部大臣鈴木貫太郎内閣1945年4月7日1945年8月17日133
松村 謙三文部大臣東久邇宮内閣1945年8月17日1945年10月9日54
前田 多門文部大臣東久邇宮内閣1945年8月18日1945年10月9日53
前田 多門文部大臣幣原内閣1945年10月9日1946年5月22日226
安倍 能成文部大臣幣原内閣1946年1月13日1946年5月22日130
田中 耕太郎文部大臣第一次吉田内閣1946年5月22日1947年5月24日368
高橋 誠一郎文部大臣第一次吉田内閣1947年1月31日1947年5月24日114
片山 哲文部大臣片山内閣1947年5月24日1948年3月10日292
森戸 辰男文部大臣片山内閣1947年6月1日1948年3月10日284
森戸 辰男文部大臣芦田内閣1948年3月10日1948年10月15日220
下條 康麿文部大臣第二次吉田内閣1948年10月15日1949年2月16日125
高瀬 荘太郎文部大臣第三次吉田内閣1949年2月16日1950年6月28日498
天野貞祐文部大臣第三次吉田内閣1950年5月6日1950年6月28日54
天野 貞祐文部大臣第三次吉田内閣・第一次改造内閣1950年6月28日1951年7月4日372
天野 貞祐文部大臣第三次吉田内閣・第二次改造内閣1951年7月4日1951年12月26日176
天野 貞祐文部大臣第三次吉田内閣・第三次改造内閣1951年12月26日1952年10月30日310
岡野 清豪文部大臣第三次吉田内閣・第三次改造内閣1952年8月12日1952年10月30日80
岡野 清豪文部大臣第四次吉田内閣1952年10月30日1953年5月21日204
大達 茂雄文部大臣第五次吉田内閣1953年5月21日1954年12月10日569
安藤 正純文部大臣第一次鳩山一郎内閣1954年12月10日1955年3月19日100
松村 謙三文部大臣第二次鳩山一郎内閣1955年3月19日1955年11月22日249
清瀬 一郎文部大臣第三次鳩山一郎内閣1955年11月22日1956年12月23日398
灘尾 弘吉文部大臣石橋内閣1956年12月23日1957年2月25日65
灘尾 弘吉文部大臣第一次岸内閣1957年2月25日1957年7月10日136
松永 東文部大臣第一次岸内閣・第一次改造内閣1957年7月10日1958年6月12日338
灘尾 弘吉文部大臣第二次岸内閣1958年6月12日1959年6月18日372
橋本 龍伍文部大臣第二次岸内閣1958年12月31日1959年6月18日170
橋本 龍伍文部大臣第二次岸内閣1959年1月12日1959年6月18日158
松田 竹千代文部大臣第二次岸内閣・第二次改造内閣1959年6月18日1960年7月19日398
荒木 万寿夫文部大臣第一次池田内閣1960年7月19日1960年12月8日143
荒木 万寿夫文部大臣第二次池田内閣1960年12月8日1961年7月18日223
荒木 万寿夫文部大臣第二次池田内閣・第一次改造内閣1961年7月18日1962年7月18日366
荒木 万寿夫文部大臣第二次池田内閣・第二次改造内閣1962年7月18日1963年7月18日366
灘尾 弘吉文部大臣第二次池田内閣・第三次改造内閣1963年7月18日1963年12月9日145
灘尾 弘吉文部大臣第三次池田内閣1963年12月9日1964年7月18日223
愛知 揆一文部大臣第三次池田内閣・第一次改造内閣1964年7月18日1964年11月9日115
愛知 揆一文部大臣第一次佐藤内閣1964年11月9日1965年6月3日207
中村 梅吉文部大臣第一次佐藤内閣・第一次改造内閣1965年6月3日1966年8月1日425
有田 喜一文部大臣第一次佐藤内閣・第二次改造内閣1966年8月1日1966年12月3日125
剱木 亨弘文部大臣第一次佐藤内閣・第三次改造内閣1966年12月3日1967年2月17日77
剱木 亨弘文部大臣第二次佐藤内閣1967年2月17日1967年11月25日282
灘尾 弘吉文部大臣第二次佐藤内閣・第一次改造内閣1967年11月25日1968年11月30日372
坂田 道太文部大臣第二次佐藤内閣・第二次改造内閣1968年11月30日1970年1月14日411
坂田 道太文部大臣第三次佐藤内閣1970年1月14日1971年7月5日538
高見 三郎文部大臣第三次佐藤内閣・改造内閣1971年7月5日1972年7月7日369
稲葉 修文部大臣第一次田中角栄内閣1972年7月7日1972年12月22日169
奥野 誠亮文部大臣第二次田中角栄内閣1972年12月22日1973年11月25日339
奥野 誠亮文部大臣第二次田中角栄内閣・第一次改造内閣1973年11月25日1974年11月11日352
三原 朝雄文部大臣第二次田中角栄内閣・第二次改造内閣1974年11月11日1974年12月9日29
永井 道雄文部大臣三木内閣1974年12月9日1976年9月15日647
永井 道雄文部大臣三木内閣・改造内閣1976年9月15日1976年12月24日101
海部 俊樹文部大臣福田赳夫内閣1976年12月24日1977年11月28日340
砂田 重民文部大臣福田赳夫内閣・改造内閣1977年11月28日1978年12月7日375
内藤 誉三郎文部大臣第一次大平内閣1978年12月7日1979年11月9日338
大平 正芳文部大臣第二次大平内閣1979年11月9日1980年6月12日217
谷垣 專一文部大臣第二次大平内閣1979年11月20日1980年6月12日206
田中 龍夫文部大臣鈴木善幸内閣1980年7月17日1982年11月27日864
瀬戸山 三男文部大臣第一次中曽根内閣1982年11月27日1983年12月27日396
森 喜朗文部大臣第二次中曽根内閣1983年12月27日1984年11月1日311
松永 光文部大臣第二次中曽根内閣・第一次改造内閣1984年11月1日1985年12月28日423
海部 俊樹文部大臣第二次中曽根内閣・第二次改造内閣1985年12月28日1986年7月22日207
藤尾 正行文部大臣第三次中曽根内閣1986年7月22日1987年11月6日473
塩川 正十郎文部大臣第三次中曽根内閣1986年9月9日1987年11月6日424
中島 源太郎文部大臣竹下内閣1987年11月6日1988年12月27日418
西岡 武夫文部大臣竹下内閣・改造内閣1988年12月27日1989年6月3日159
西岡 武夫文部大臣宇野内閣1989年6月3日1989年8月10日69
石橋 一弥文部大臣第一次海部内閣1989年8月10日1990年2月28日203
保利 耕輔文部大臣第二次海部内閣1990年2月28日1990年12月29日305
井上 裕文部大臣第二次海部内閣・改造内閣1990年12月29日1991年11月5日312
鳩山 邦夫文部大臣宮澤内閣1991年11月5日1992年12月12日404
森山 眞弓文部大臣宮澤内閣・改造内閣1992年12月12日1993年8月9日241
赤松 良子文部大臣細川内閣1993年8月9日1994年4月28日263
赤松 良子文部大臣羽田内閣1994年4月28日1994年6月30日64
与謝野 馨文部大臣村山内閣1994年6月30日1995年8月8日405
島村 宜伸文部大臣村山内閣・改造内閣1995年8月8日1996年1月11日157
奥田 幹生文部大臣第一次橋本内閣1996年1月11日1996年11月7日302
小杉 隆文部大臣第二次橋本内閣1996年11月7日1997年9月11日309
町村 信孝文部大臣第二次橋本内閣・改造内閣1997年9月11日1998年7月30日323
有馬 朗人文部大臣小渕内閣1998年7月30日1999年1月14日169
有馬 朗人文部大臣小渕内閣・第一次改造内閣1999年1月14日1999年10月5日265
中曽根 弘文文部大臣小渕内閣・第二次改造内閣1999年10月5日2000年4月5日184
中曽根 弘文文部大臣第一次森内閣2000年4月5日2000年7月4日91
大島 理森文部大臣第二次森内閣2000年7月4日2000年12月5日155
町村 信孝文部大臣第二次森内閣・改造内閣2000年12月5日2001年1月6日33
町村 信孝文部科学大臣第二次森内閣・改造内閣(省庁再編後)2001年1月6日2001年4月26日111
遠山 敦子文部科学大臣第一次小泉内閣2001年4月26日2002年9月30日523
遠山 敦子文部科学大臣第一次小泉内閣・第一次改造内閣2002年9月30日2003年9月22日358
河村 建夫文部科学大臣第一次小泉内閣・第二次改造内閣2003年9月22日2003年11月19日59
河村 建夫文部科学大臣第二次小泉内閣2003年11月19日2004年9月27日314
中山 成彬文部科学大臣第二次小泉内閣・改造内閣2004年9月27日2005年9月21日360
中山 成彬文部科学大臣第三次小泉内閣2005年9月21日2005年10月31日41
小坂 憲次文部科学大臣第三次小泉内閣・改造内閣2005年10月31日2006年9月26日331
伊吹 文明文部科学大臣第一次安倍内閣2006年9月26日2007年8月27日336
伊吹 文明文部科学大臣第一次安倍内閣・改造内閣2007年8月27日2007年9月26日31
渡海 紀三朗文部科学大臣福田康夫内閣2007年9月26日2008年8月2日312
鈴木 恒夫文部科学大臣福田康夫内閣・改造内閣2008年8月2日2008年9月24日54
塩谷 立文部科学大臣麻生内閣2008年9月24日2009年9月16日358
川端 達夫文部科学大臣鳩山由紀夫内閣2009年9月16日2010年6月8日266
川端 達夫文部科学大臣菅直人内閣2010年6月8日2010年9月17日102
髙木 義明文部科学大臣菅直人内閣・第一次改造内閣2010年9月17日2011年1月14日120
高木 義明文部科学大臣菅直人内閣・第二次改造内閣2011年1月14日2011年9月2日232
中川 正春文部科学大臣野田内閣2011年9月2日2012年1月14日135
平野 博文文部科学大臣野田内閣・第一次改造内閣2012年1月14日2012年6月4日143
平野 博文文部科学大臣野田内閣・第二次改造内閣2012年6月4日2012年10月1日120
田中 眞紀子文部科学大臣野田内閣・第三次改造内閣2012年10月1日2012年12月26日87
下村 博文文部科学大臣第二次安倍内閣2012年12月26日2014年9月3日617
下村 博文文部科学大臣第二次安倍内閣・改造内閣2014年9月3日2014年12月24日113
下村 博文文部科学大臣第三次安倍内閣2014年12月24日2015年10月7日288
馳 浩文部科学大臣第三次安倍内閣・第一次改造内閣2015年10月7日2016年8月3日302
松野 博一文部科学大臣第三次安倍内閣・第二次改造内閣2016年8月3日2017年8月3日366
林 芳正文部科学大臣第三次安倍内閣・第三次改造内閣2017年8月3日2017年11月1日91
林 芳正文部科学大臣第四次安倍内閣2017年11月1日2018年10月2日336
柴山 昌彦文部科学大臣第四次安倍内閣・第一次改造内閣2018年10月2日2019年9月11日345
萩生田 光一文部科学大臣第四次安倍内閣・第二次改造内閣2019年9月11日2020年9月16日372
萩生田 光一文部科学大臣菅義偉内閣2020年9月16日2021年10月4日384
末松 信介文部科学大臣第一次岸田内閣2021年10月4日2021年11月10日38
末松 信介文部科学大臣第二次岸田内閣2021年11月10日2022年8月10日274
永岡 桂子文部科学大臣第二次岸田内閣・第一次改造内閣2022年8月10日2023年9月13日400
盛山 正仁文部科学大臣第二次岸田内閣・第二次改造内閣2023年9月13日(現在)(現在)
首相官邸HPをもとに作成

※関連記事:文部科学大臣の学歴:教育のトップはやはり国公立大学や難関大学の出身者が多いのかを検証

文部科学大臣・文部大臣の在任日数ランキング

文部科学大臣・文部大臣を長く務めた人を1位~5位まで紹介します。
※内閣総理大臣との兼務期間をのぞいています

1位:岡田 良平氏(1766日)

1位は岡田良平氏で1766日です。大正時代に活躍した政治家で、寺内内閣、加藤高明内閣、若槻内閣の3つの内閣で文部大臣を務めました。

京都大学(当時京都帝国大学)の総長を務めたのち、文部大臣に転身しています。

専門学校令制定、教科書国定化に関わりました。

2位:芳川 顕正氏(1550日)

2位は芳川顕正氏で1550日です。山縣内閣、松方内閣、伊藤内閣で文部大臣を務めました。司法大臣や内務大臣も長く務めています。

前文部大臣の榎本武揚氏が明治天皇から指示されていた教育勅語制定を放置したことで辞職させられ、芳川顕正氏に交代。ただちに教育勅語を制定しました。

3位:橋田 邦彦氏(1464日)

3位は橋田邦彦氏で1464日です。戦前の近衛内閣と東條内閣で文部大臣を務めました。

東京帝国大学(現・東京大学)の教授で、日本で最初に「実験生理学」を提唱しました。

4位:西園寺 公望氏(1351日)

4位は西園寺公望氏で1351日です。明治に伊藤内閣、松方内閣で文部大臣を務めました。

1869年に立命館大学の前身である私塾「立命館」を創始しています。

5位:中橋 德五郎氏(1345日)

5位は中橋德五郎氏で1345日です。戦前に原内閣と高橋内閣で文部大臣を務めました。

高校10校、工業、商業、農林、外語、薬学系の専門学校29校を新設しました。

1~10位の一覧

氏名通算在職日数(日)内閣時代
岡田 良平1766・寺内内閣
・加藤高明内閣
・若槻内閣
大正
芳川 顕正1550・山縣内閣
・松方内閣
・伊藤内閣
明治
橋田 邦彦1464・近衛内閣
・東條内閣
昭和(戦前)
西園寺 公望1351・伊藤内閣
・松方内閣
明治
中橋 德五郎1345・原内閣
・高橋内閣
昭和(戦前)
灘尾 弘吉1313・池田内閣
・佐藤内閣
昭和(戦後)
森 有礼1150・黒田内閣
・伊藤内閣
明治
小松原 英太郎1143桂内閣明治
荒木 万寿夫1098池田内閣昭和(戦後)
下村 博文1018安倍内閣平成
坂田 道太949佐藤内閣昭和(戦後)
遠山 敦子881小泉内閣平成

通算在任日数が短い

文部大臣・文部科学大臣の在任日数をみると、ほかの重要閣僚にくらべて「短い」という特徴がみられます。

外務大臣や財務大臣(大蔵大臣)は3000日越えをしている人もいましたが、文部科学大臣(文部大臣)は2000日未満です。

1内閣あたりの在任日数では違いがないので、同じ人が長く務めるポストではないことが分かります。

 平均在任日数
財務大臣316日
外務大臣334日
文部科学大臣328日

首相経験者は2人しかいない

また、文部科学大臣(文部大臣)の在職日数1~10位の人のなかでその後首相になった人は2人だけです。

11位以降をみると森元総理、海部元総理、犬養元総理もいますが、それでも合計5人です。

元東京帝国大学の総長や教授から文部大臣になった人も複数いるように、生粋の政治家だけでなく、教育者が文部大臣や文部科学大臣に就任するケースもあります。

求められる役割が政治的だったり教育的だったりと、時代に合わせて異なるポストと言えそうです。

歴代文部大臣の中で評価されたTOP4

森有礼(もり ありのり)

森有礼は、日本初の文部大臣として、近代教育制度を整備しました。明治時代の初期に、日本の教育を近代化するために大きな改革を進め、特に小学校教育の普及を推進しました。

彼の手によって、初等教育が普及し、学制改革が行われ、日本の教育制度の基盤が築かれました。

森はまた、教育の普及とともに、西洋文化を取り入れることで、日本社会の近代化を目指しました。その功績は、後の日本の教育制度に深く影響を与えています。

灘尾弘吉(なだお こうきち)

灘尾弘吉は、戦後の文部大臣として教育改革を進めました。合計6期も務めており、特に日教組の改革に尽力しました。

彼の功績には、教育制度の整備や学問の自由の拡大が含まれ、当時の日本における教育の質を向上させました。

自民党内での信頼も篤かったようで、1966年の自民党総裁選では「立候補をしていない」にも関わらず、11票入りました。

牧野伸顕(まきの のぶあき)

牧野伸顕は、昭和時代に文部大臣を務め、戦後の教育改革に尽力しました。

彼は、戦後の日本の教育制度を再建しました。義務教育を4年から6年に伸ばし、さらに文部省の予算で美術展覧会も開いて芸術文化の普及にも務めました。

牧野はまた、教育の公平性や教育機会の均等を重視し、戦後日本の教育の基礎を固めました。

与謝野馨(よさの かおる)

与謝野馨は、昭和後期から平成初期にかけて文部大臣を務め、教育界に大きな影響を与えました。彼の在任中には、教育の質の向上や学力向上を目指した政策が実施され、特に大学改革に力を入れました。

彼はまた、国際化が進む中で、グローバル化に対応した教育政策を進め、日本の教育の国際競争力を高めました。与謝野は、日本教育の発展において重要な役割を果たしました。

歴代文部科学大臣の中で注目されたTOP3

伊吹文明(いぶき ぶんめい)

伊吹文明は、2000年代に文部科学大臣を務め、特に教育改革と科学技術政策に注力しました。

彼の在任中には、教育基本法の改正が行われ、教育の理念に大きな影響を与えました。伊吹は、学力向上を目指した施策や、教育の内容充実を推進し、また、科学技術政策においては、研究開発費の増加や大学の競争力強化に取り組みました。

その改革の成果として、後の教育・科学政策に大きな影響を与えました。

萩生田光一(はぎうだ こういち)

萩生田光一は、文部科学大臣として、教育改革と少子化対策に取り組みました。特に、教育のICT化を推進し、デジタル教育環境の整備を進めました。

また、大学入試改革や教員免許更新制度など、教育システムの近代化を図り、日本の教育界に新たな風を吹き込みました。

萩生田氏は、教育の国際化にも注力し、学力の向上とグローバル化を進める政策を実行しました。彼の改革が教育制度の改善に寄与しています。

時代ごとに見る文部大臣・文部科学大臣の役割の変化

戦前・戦後の文部大臣の役割とその影響

戦前の文部大臣は、教育を国家の統治ツールとして用い、国民精神の統一を目指しました。一方、戦後の文部大臣は民主主義に基づく教育制度を構築し、戦後復興とともに教育の自由化と平等化を推進しました。

文部科学省設立後の文部科学大臣の課題と成果

文部科学大臣は、省設立後、教育と科学技術の統合的発展を図りました。特に、大学の研究環境整備やグローバル化への対応が重要課題となり、科学技術立国としての競争力を高める政策が進められました。


日本の教育と未来を支える文部科学大臣像

次世代の文部科学大臣に求められる資質とは?

少子化が進む中で教育予算の最適化、国際競争に対応した教育カリキュラムの構築、デジタル技術を活用した学習環境の整備など、多岐にわたる課題に対応できる資質が求められます。

女性文部科学大臣の活躍とその意義

女性の文部科学大臣の活躍は、教育現場の多様性を象徴します。女性のリーダーシップが教育政策において新たな視点を提供し、ジェンダー平等の促進に繋がると期待されています。

女性政治家

Q&A: 歴代文部大臣と歴代文部科学大臣に関する疑問

Q1: 文部大臣から文部科学大臣になって何が変わりましたか?

A1:
文部大臣は、文部省(現在の文部科学省)の長官として、戦前の日本において教育行政を担当していました。主に教育や文化の発展を目的とし、特に小学校教育の普及や学制改革に取り組みました。

一方、文部科学大臣は、文部省と科学技術庁が統合されて発足した文部科学省の長官として、教育・文化・スポーツ・科学技術を包括的に担当します。現代の教育改革や科学技術政策、国際化への対応など、広範な分野での改革が求められています。

Q2: 歴代文部大臣の中で特に評価されている人物は誰ですか?

A2:
歴代文部大臣で特に評価されている人物としては、森有礼(初代文部大臣)や、灘尾弘吉牧野伸顕与謝野馨などが挙げられます。

森有礼は日本初の文部大臣として、近代教育制度を確立しました。灘尾弘吉は教育の民主化を進め、牧野伸顕は戦後の教育改革に尽力しました。与謝野馨は、大学改革や教育の国際化に貢献した人物として評価されています。

Q3: 歴代文部科学大臣で注目された人物は誰ですか?

A3:
歴代文部科学大臣で注目された人物には、伊吹文明萩生田光一がいます。伊吹文明は、教育基本法の改正に関与し、教育改革と科学技術政策を進めました。萩生田光一は、教育のICT化を推進し、大学入試改革や教員免許更新制度の導入など、教育システムの近代化に大きく貢献しました。

彼らは、現代の教育課題に取り組み、重要な改革を実現しました。

Q4: 文部大臣と文部科学大臣が担った具体的な役割の違いは?

A4:
文部大臣は、戦前の教育行政を担当し、主に義務教育や教育制度の整備を進めました。例えば、森有礼が初代文部大臣として、学制改革や初等教育の普及を目指しました。

一方、文部科学大臣は、教育の他にも科学技術やスポーツ、文化政策を含む広範な分野を担当します。現代では、少子化、教育の国際化、デジタル化など、さまざまな社会的課題に対応する役割を担っています。

Q5: 今後の文部科学大臣にはどのような資質が求められますか?

A5:
今後の文部科学大臣には、教育の多様化デジタル教育の推進少子化対策への対応力が求められます。また、国際的な教育交流の推進や、ジェンダー平等を意識した政策が重要視されるでしょう。加えて、教育分野の改革に加え、科学技術や文化政策への理解とリーダーシップが求められる時代です。

次世代を担う教育制度の構築が急務となるため、柔軟な対応力が期待されています。

Q6: 文部大臣と文部科学大臣の歴史的な違いは何ですか?

A6:
文部大臣は、明治時代から昭和初期にかけて、日本の教育制度が整備される過程で重要な役割を果たしました。特に、小学校教育の普及や学制改革が進められました。

戦後は、文部省の職務が拡大し、教育だけでなく、科学技術やスポーツ、文化にまで関与するようになり、1999年に文部科学省が設立され、文部大臣が文部科学大臣へと改名されました。

文部科学大臣は、現代の日本社会における複雑な教育・科学問題を幅広く担当する職務となっています。

Q7: 歴代文部科学大臣の中で、特に科学技術政策で評価された人物は?

A7:
伊吹文明萩生田光一などが、特に科学技術政策で評価されています。伊吹は、教育と科学技術の統合的な改革を推進し、萩生田光一は、科学技術の振興や研究開発の支援に力を入れました。

彼らの政策は、日本の科学技術を国際的に競争力を持たせることに貢献し、教育とともに日本の未来を支える基盤となりました。

まとめ

歴代の文部科学大臣や文部大臣を一覧で紹介しました。

外務大臣や財務大臣にくらべて内閣総理大臣になった人が少ないです。財務大臣は通算在職日数上位10人のうち7人が首相経験者ですが、文部科学大臣は過去に5人だけです。

東京帝国大学の教授から文部大臣になった人も複数おり、政治ポストであると同時に教育ポストでもあると言えそうです。

【参考】
文部科学省:歴代文部大臣
文部科学省:歴代文部科学大臣
アジ歴グロッサリー

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