参議院の緊急集会は、日本国憲法第54条第2項に基づく特別な会合で、衆議院が解散中に緊急事態が発生した際に内閣が参議院を召集して行われます。
この仕組みは、国会が通常の形で機能しない状況でも、国としての迅速な対応を可能にするために設けられた制度です。
本記事では、参議院の緊急集会の概要と召集条件、1950年代に吉田茂内閣が行った緊急集会の事例について解説します。
参議院の緊急集会とは
参議院の緊急集会は、憲法第54条第2項に基づく制度で、衆議院が解散中で国会が通常の形で開けない状況で緊急の事態に対応するために、内閣が参議院を召集して議論を行う場です。
緊急集会で決定された事項はあくまで仮の処置であり、衆議院が再び招集された際にその承認を得る必要があります。
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話し合われる内容
緊急集会では、国内外の緊急事態に対応するための法案や予算の審議が主な内容となります。
例えば、自然災害や国家安全保障に関する問題、経済的な危機などが対象となり得ます。これにより、国会が機能していない状況でも、国としての対応を取ることが可能です。
緊急集会が召集される条件
参議院の緊急集会が召集される条件は、「衆議院が解散されていること」が前提です。さらに、「内閣が国政上の緊急事態に対処する必要があると判断した場合」に限られます。
この判断は、内閣の責任で行われ、内閣総理大臣が参議院の議長に召集を請求します。
過去に召集された緊急集会
参議院の緊急集会召集は、日本国憲法施行後、これまでに二度ありました(参議院・参議院の緊急集会より)。
1952年8月28日:中央選挙管理会の委員の任命(吉田茂内閣)
1952年、当時の吉田茂総理は、中央選挙管理会の委員の任命を目的として緊急集会を請求しました。同月31日に緊急集会が開催され、同日中に選挙管理会委員と予備委員が任命されて閉会しました。
この措置は後に衆議院の同意を得ました。
1953年3月14日:一般会計等の暫定予算及び法律案の議決(吉田茂内閣)
一般会計等の暫定予算及び法律案の議決を求めて吉田総理は緊急集会の開催を請求。同月18日に開催され、議案はすべて可決されて20日に閉会しました。
これらの議決も衆議院総選挙後の衆議院特別国会で同意を得ています。
過去2回とも吉田総理による与党対策
1952年、1953年の緊急集会はどちらも吉田内閣の請求によって開催されました。これは、予算案や4つの法律案について与党内で吉田内閣が支持を得られないため、衆議院での議決を避けるための計算された措置だったと言われています(大西祥世:「強い参議院」と緊急集会より)。
つまり、本来は衆議院で議決されるべき事案だったのが、内閣と与党との対立によって衆議院での採決を「飛ばす」という手段が取られたそうです。
その後、参議院の緊急集会は一度も開催されていません。
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緊急集会で決定された事項は、衆議院の再招集後に承認される必要があります。
前述のように、1952年・1953年ともに議決が国会(特別会)で承認されました。この手続きの結果、参議院の緊急集会での決定は正式なものとして確定しました。
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まとめ
参議院の緊急集会は、衆議院が解散されている状況で緊急事態に対応するために設けられた重要な制度です。
緊急集会での議決は衆議院で追認されるという制度があるため、与党と対立していた吉田茂内閣は1952年と1953年に予算案や複数の法律案を可決させるために参議院の緊急集会を開きました。
その後は一度も緊急集会が開催されていません。
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