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政党内閣とは:日本で最初の政党内閣はどの総理大臣のときで、その後どうなったか

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原敬首相 まとめ
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現在日本は議院内閣制を取っており、政党内閣が組織されるのが当たり前になっています。

ですが、日本で政党内閣が誕生したのは20世紀になってからであり、まだまだ新しい制度です。しかも途中から政党内閣制はくずれていました。

有権者のひとりとして政治に適切にかかわれるようになるため、現代日本の政治の根幹である政党内閣についてくわしく知りたいと思います。

※関連記事:内閣不信任決議とは:不信任決議が可決された日本の歴代内閣4つとその経緯を紹介

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政党内閣とは

政党内閣とは、議会に議席を持つ政党を基盤に組織された内閣のことです。議院内閣制とも呼び、議会の信任を得て政権運営を行います。

大統領制との違い

政党内閣では総理大臣(首相)が政権運営のトップに立ちます。イギリスなど多くの先進国で採用されている政治制度ですが、大統領制とは異なっています。

先進国のなかでも、アメリカのように政党内閣を組織しない国もあります。

大統領制は国民(あるいは国民の信任を得た代表者)の信任を得て選ばれます。一方、政党内閣の総理大臣は国会議員によって選ばれます。

※関連記事:首相と大統領の違い:日本の内閣総理大臣の権限はどこまである?首相と大統領はどちらが良い政治をできる?


大統領制化の比較政治学

日本における政党内閣

日本初の政党内閣は大隈重信内閣

日本ではじめての政党内閣は1898年の第一次大隈重信内閣でした。

この頃は長州藩や薩摩藩出身者が主導権をにぎる藩閥政治が当たり前でした。こうした体制に反発して自由党と進歩党が協力して与党・憲政党となり、憲政党の議員を中心に大隈重信が内閣を組織します。

どちらの党の議員が重要閣僚ポストに就くかでモメにモメ、内部分裂ばかりします。結局、132日で辞職しました。

※関連記事:歴代総理大臣の一覧表:伊藤博文から現役の首相まで在任日数や在任期間などのまとめ

日本ではじめての本格的な政党内閣は原敬内閣

日本で最初の本格的な政党内閣は原敬内閣と言われています。

原内閣は立憲政友会を基礎として1918年9月29日~1921年11月4日まで政権運営を行いました。平民宰相ところが1921年に政策に批判的だった青年に東京駅で刺殺されています。

この事件自体は、動機が政治的イデオロギーではなく個人的な感情から来たものだという指摘もあります(現代ビジネス『原敬暗殺事件、犯人の動機は実は「失恋」だった』より)。

国勢調査をはじめて実施したのも原敬内閣

実は原敬内閣は、「初の本格的な政党内閣」というだけでなく、「初の国勢調査を実施した内閣」でもあります(総務省統計局より)。第一次世界大戦が勃発しており、戦時体制を取るために日本国内の状況を正確に把握するためだったようです。

関東大震災で政党内閣は一時途切れる

原敬内閣以降も政党内閣はつづきますが、1923年に途切れます。この年に関東大震災が起こったためです。

大震災の被害は大きく、国を挙げて対応するため西園寺公望が山本権兵衛を総理大臣に任命します(当時は総理大臣の決定方法に明確な規定がありませんでした)。震災後の不況により政党内閣への不満も大きくなっていきました。

山本内閣は普通選挙の実現に向けても動きますが、皇族が共産主義者の難波大助に襲撃されて負傷したのを機に辞表を提出。襲われた皇族含め周囲が慰留しますが、128日で総辞職となりました。

五・一五事件以降は政党内閣がない

1932年、満州国樹立を目指す軍部の動きを抑制しようとしていた犬養毅首相や政友会本部が襲撃されます(五・一五事件)。

当時、軍部系の大臣には軍部から推薦した現役の軍人が就任するという決まりがありました(軍部大臣現役武官制)。この制度をタテに軍部は自分たちに批判的・抑制的な内閣には大臣を推薦しなくなります。

二・二六事件以降はこの傾向が強まり、さらに大政翼賛会に統合されて太平洋戦争へとつながりました。

結果的に、犬養毅内閣が戦前で最後の政党内閣となりました。

戦後、吉田茂内閣が初の政党内閣

1946年、吉田茂氏が内閣総理大臣に指名され、大日本帝国憲法下でひさしぶりの政党内閣が誕生しました。

つづく1947年、日本国憲法施行後初の衆議院選挙が行われ、第1党となった日本社会党の片山哲氏に代わりました。

ただし、このときは日本自由党の吉田茂氏が首相になるものとして周囲が動いており(本人が首相就任を拒否)、片山内閣、芦田内閣とつづけて短命内閣に終わりました。

その後、第二次吉田内閣が組織され、1948年から1954年のバカヤロー解散まで6年にわたって総理大臣を務めました。

政党内閣制が政府暴走の抑止力

日本では戦後、安定して政党内閣がつづいています。これまで見てきたように、戦前に軍部の暴走を止められなかった反省も踏まえて現在の形になっています。

軍部に限らず、特定の役職に権力が集中すると独裁となり、自身や自身の周囲に利益が集めるようになります。

また、多様な意見が反映されにくくなり、政権運営の状況チェックも行き届かなくなります。

こうしたことから、政党内閣は政治を安定させるための重要な機構だと言えそうです。

まとめ

政党内閣について説明し、日本における政党内閣の歴史を振り返りました。

日本初の政党内閣は1898年の大隈内閣で、本格的な政党内閣としては原敬内閣が初でした。

その後、五一五事件や二二六事件をとおして軍部が暴走しはじめて挙国一致内閣へと変貌していきます。戦後、吉田首相から政党内閣は復活し現在に至ります。

政党内閣について理解を深め、今後の投票活動にプラスにしていきましょう!

※関連記事:政党支持率の推移:自民党やほかの政党の支持率はどのように変化したのか

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