教育のトップといえば文部科学大臣です。現在でも東京大学が大学入試制度に強い発言力を持つことからも、「国公立大学」「偏差値の高い大学」の出身者が多いのでしょうか。
そこで、歴代の文部科学大臣・文部大臣の出身の学校を一覧にまとめました。
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- 文部科学大臣とは?その役割と重要性
- 文部大臣・文部科学大臣の学歴一覧
- 文部科学大臣に多い学歴
- 文部科学大臣の出身大学ランキング
- 学歴と文部科学大臣の政策への影響
- エリート主義と文部科学大臣の学歴
- 注目された文部科学大臣の学歴とその背景
- 文部科学大臣と学歴|未来への展望
- 文部科学大臣・文部大臣の学歴に関するQ&A
- Q1: 文部科学大臣の学歴はどのような傾向がありますか?
- Q2: 学歴が文部科学大臣にどの程度重要ですか?
- Q3: 文部科学大臣に多い出身大学はどこですか?
- Q4: 文部大臣時代と文部科学大臣時代で学歴の傾向に違いはありますか?
- Q5: 学歴以外で文部科学大臣に求められる資質は何ですか?
- Q6: 「エリート主義」と文部科学大臣の学歴には関連がありますか?
- Q7: 他国の教育大臣と日本の文部科学大臣の学歴に違いはありますか?
- Q8: 文部科学大臣に「異色」の経歴を持つ人物はいますか?
- Q9: 今後の文部科学大臣にはどのような学歴や経歴が求められますか?
- Q10: 文部科学大臣の学歴についての情報はどこで確認できますか?
- まとめ
文部科学大臣とは?その役割と重要性

文部科学大臣が担う役割とは?
文部科学大臣は、教育、科学技術、文化、スポーツなど幅広い分野を管轄する文部科学省の長です。その役割は、教育基本法の実施を指導し、義務教育や大学制度の改善、科学技術の振興政策を策定することです。
また、国際的な科学技術競争に対応する戦略を推進し、日本の文化やスポーツ振興にも力を入れています。さらに、次世代の教育環境を整えるリーダーとして、教育格差や少子化対策といった重要課題にも取り組んでいます。
これらの役割を果たすため、大臣には広範な知識と決断力が求められます。
文部科学大臣の学歴が注目される理由
文部科学省が教育や科学技術政策の中核を担う省であるため、大臣の学歴や出身大学が注目されることが少なくありません。
特に、大臣が高学歴である場合、教育改革や科学技術政策への説得力が増すと考えられるため、国民やメディアの注目を集めます。
日本では東京大学や京都大学などのエリート校出身の大臣が多い一方、異なる視点を持つ大臣も時折登場し、多様性のある政策が期待されます。
また、学歴は象徴的な要素として評価されやすい一方で、実績やリーダーシップが重視されるべきだとの議論もあります。
文部大臣・文部科学大臣の学歴一覧
歴代の文部科学大臣(旧文部大臣含む)の学歴を一覧にまとめました(Wikipediaより)。
※2024年12月時点
氏名 | 国公立/私立 | 最終学歴 | 内閣 | 在職期間 | |
森 有礼 | 国公立 | 薩摩藩校・開成所 | 第一次伊藤内閣 | 1885年12月22日 | 1888年4月30日 |
森 有礼 | 黒田内閣 | 1888年4月30日 | 1889年2月12日 | ||
大山 巖 | – | – | 黒田内閣 | 1889年2月16日 | 1889年3月22日 |
榎本 武揚 | 国公立 | 昌平坂学問所 | 黒田内閣 | 1889年3月22日 | 1889年10月25日 |
榎本 武揚 | 第一次山縣内閣 | 1889年12月24日 | 1891年5月6日 | ||
芳川 顕正 | 国公立 | 養生所(長崎養生所) | 第一次山縣内閣 | 1890年5月17日 | 1891年5月6日 |
芳川 顕正 | 第一次松方内閣 | 1891年5月6日 | 1892年8月8日 | ||
大木 喬任 | 国公立 | 佐賀藩校・弘道館 | 第一次松方内閣 | 1891年6月1日 | 1892年8月8日 |
河野 敏鎌 | – | – | 第二次伊藤内閣 | 1892年8月8日 | 1896年8月31日 |
井上 毅 | 国公立 | 熊本藩校・時習館 | 第二次伊藤内閣 | 1893年3月7日 | 1896年8月31日 |
芳川 顕正 | 国公立 | 養生所(長崎養生所) | 第二次伊藤内閣 | 1894年8月29日 | 1896年8月31日 |
西園寺 公望 | 国公立、海外 | 学習院、ソルボンヌ大学 | 第二次伊藤内閣 | 1894年10月3日 | 1896年8月31日 |
西園寺 公望 | 第二次松方内閣 | 1896年9月18日 | 1898年1月12日 | ||
蜂須賀 茂韶 | 海外 | オックスフォード大学 | 第二次松方内閣 | 1896年9月28日 | 1898年1月12日 |
濱尾 新 | 私立 | 慶應義塾 | 第二次松方内閣 | 1897年11月6日 | 1898年1月12日 |
西園寺 公望 | 国公立、海外 | 学習院、ソルボンヌ大学 | 第三次伊藤内閣 | 1898年1月12日 | 1898年6月30日 |
外山 正一 | 国公立、海外 | 開成所、ミシガン大学 | 第三次伊藤内閣 | 1898年4月30日 | 1898年6月30日 |
尾崎 行雄 | 国公立 | 宮崎文庫英学校、 慶應義塾中退、工学寮中退 | 第一次大隈内閣 | 1898年6月30日 | 1898年11月8日 |
犬養 毅 | 私立 | 慶應義塾中退 | 第一次大隈内閣 | 1898年10月27日 | 1898年11月8日 |
樺山 資紀 | – | – | 第二次山縣内閣 | 1898年11月8日 | 1900年10月19日 |
松田 正久 | 国公立 | 昌平坂学問所 | 第四次伊藤内閣 | 1900年10月19日 | 1901年5月10日 |
菊池大麓 | 国公立、海外 | 蕃書調所、ケンブリッジ大学 | 第一次桂内閣 | 1901年6月2日 | 1906年1月7日 |
児玉源太郎 | 国公立 | 興譲館 | 第一次桂内閣 | 1903年7月17日 | 1903年9月22日 |
久保田 譲 | 私立 | 慶應義塾 | 第一次桂内閣 | 1903年9月22日 | 1905年12月14日 |
桂 太郎 | 国公立 | 明倫館 | 第一次桂内閣 | 1905年12月14日 | 1906年1月7日 |
清浦 奎吾 | 私立 | 咸宜園 | 第一次桂内閣 | 1903年7月17日 | 1903年9月22日 |
清浦 奎吾 | 第一次桂内閣 | 1903年9月22日 | 1906年1月7日 | ||
西園寺 公望 | 国公立、海外 | 学習院、ソルボンヌ大学 | 第一次西園寺内閣 | 1906年1月7日 | 1908年7月14日 |
牧野 伸顕 | 国公立 | 開成学校 | 第一次西園寺内閣 | 1906年3月27日 | 1908年7月14日 |
小松原 英太郎 | 私立 | 慶應義塾 | 第二次桂内閣 | 1908年7月14日 | 1911年8月30日 |
長谷場 純孝 | – | – | 第二次西園寺内閣 | 1911年8月30日 | 1912年12月21日 |
柴田 家門 | 国公立 | 東京帝国大学 | 第三次桂内閣 | 1912年12月21日 | 1913年2月20日 |
奥田 義人 | 国公立 | 旧東京大学 | 山本内閣 | 1913年2月20日 | 1914年4月16日 |
大岡 育造 | 国公立 | 長崎医学校 | 山本内閣 | 1914年3月6日 | 1914年4月16日 |
一木喜 徳郎 | 国公立 | 東京帝国大学 | 第二次大隈内閣 | 1914年4月16日 | 1915年10月9日 |
高田 早苗 | 国公立 | 旧東京大学 | 第二次大隈内閣 | 1915年8月10日 | 1915年10月9日 |
岡田 良平 | 国公立 | 東京帝国大学 | 寺内内閣 | 1916年10月9日 | 1918年9月29日 |
中橋 德五郎 | 国公立 | 旧東京大学 | 原内閣 | 1918年9月29日 | 1921年11月4日 |
中橋 德五郎 | 高橋内閣 | 1921年11月13日 | 1922年6月12日 | ||
鎌田 英吉 | 私立 | 慶應義塾 | 加藤友三郎内閣 | 1922年6月12日 | 1923年9月2日 |
犬養 毅 | 私立 | 慶應義塾 | 第二次山本内閣 | 1923年9月2日 | 1924年1月7日 |
岡野敬次郎 | 国公立 | 東京帝国大学 | 第二次山本内閣 | 1923年9月6日 | 1924年1月7日 |
江木 千之 | 国公立 | 工学寮 | 清浦内閣 | 1924年1月7日 | 1924年6月11日 |
岡田 良平 | 国公立 | 東京帝国大学 | 加藤高明内閣 | 1924年6月11日 | 1926年1月30日 |
岡田 良平 | 第一次若槻内閣 | 1926年1月30日 | 1927年4月20日 | ||
三土 忠造 | 国公立 | 東京高等師範学校 | 田中義一内閣 | 1927年4月20日 | 1929年7月2日 |
水野 錬太郎 | 国公立 | 東京帝国大学 | 田中義一内閣 | 1927年6月2日 | 1929年7月2日 |
勝田 主計 | 国公立 | 東京帝国大学 | 田中義一内閣 | 1928年5月25日 | 1929年7月2日 |
小橋 一太 | 国公立 | 東京帝国大学 | 濱口内閣 | 1929年7月2日 | 1931年4月14日 |
田中 隆三 | 国公立 | 東京帝国大学 | 濱口内閣 | 1929年11月29日 | 1931年4月14日 |
田中 隆三 | 第二次若槻内閣 | 1931年4月14日 | 1931年12月13日 | ||
鳩山 一郎 | 国公立 | 東京帝国大学 | 犬養内閣 | 1931年12月13日 | 1932年5月26日 |
鳩山 一郎 | 斎藤内閣 | 1932年5月26日 | 1934年7月8日 | ||
斎藤 実 | 国公立 | 海軍兵学校 | 斎藤内閣 | 1934年3月3日 | 1934年7月8日 |
松田 源治 | 私立 | 日本法律学校 | 岡田内閣 | 1934年7月8日 | 1936年2月1日 |
川崎 卓吉 | 国公立 | 東京帝国大学 | 岡田内閣 | 1936年2月2日 | 1936年3月9日 |
潮 惠之輔 | 国公立 | 東京帝国大学 | 廣田内閣 | 1936年3月9日 | 1937年2月2日 |
平生 釟三郎 | 国公立 | 東京商業学校 | 廣田内閣 | 1936年3月25日 | 1937年2月2日 |
林 銑十郎 | 国公立 | 陸軍大学校 | 林内閣 | 1937年2月2日 | 1937年6月4日 |
安井 英二 | 国公立 | 東京帝国大学 | 第一次近衛内閣 | 1937年6月4日 | 1939年1月5日 |
木戸 幸一 | 国公立 | 京都帝国大学 | 第一次近衛内閣 | 1937年10月22日 | 1939年1月5日 |
荒木 貞夫 | 国公立 | 陸軍士官学校 | 第一次近衛内閣 | 1938年5月26日 | 1939年1月5日 |
荒木 貞夫 | 平沼内閣 | 1939年1月5日 | 1939年8月30日 | ||
河原田 稼吉 | 国公立 | 東京帝国大学 | 安部内閣 | 1939年8月30日 | 1940年1月16日 |
松浦 鎮次郎 | 国公立 | 東京帝国大学 | 米内内閣 | 1940年1月16日 | 1940年7月22日 |
橋田 邦彦 | 国公立 | 東京帝国大学 | 第二次近衛内閣 | 1940年7月22日 | 1941年7月18日 |
橋田 邦彦 | 第三次近衛内閣 | 1941年7月18日 | 1941年10月18日 | ||
橋田 邦彦 | 東條内閣 | 1941年10月18日 | 1944年7月22日 | ||
東條 英機 | 国公立 | 陸軍大学校 | 東條内閣 | 1943年4月20日 | 1944年7月22日 |
岡部 長景 | 国公立 | 東京帝国大学 | 東條内閣 | 1943年4月23日 | 1944年7月22日 |
二宮 治重 | 国公立 | 陸軍大学校 | 小磯内閣 | 1944年7月22日 | 1945年4月7日 |
児玉 秀雄 | 国公立 | 東京帝国大学 | 小磯内閣 | 1945年2月10日 | 1945年4月7日 |
太田 耕造 | 国公立 | 東京帝国大学 | 鈴木貫太郎内閣 | 1945年4月7日 | 1945年8月17日 |
松村 謙三 | 国公立 | 東京専門学校 | 東久邇宮内閣 | 1945年8月17日 | 1945年10月9日 |
前田 多門 | 国公立 | 東京帝国大学 | 東久邇宮内閣 | 1945年8月18日 | 1945年10月9日 |
前田 多門 | 幣原内閣 | 1945年10月9日 | 1946年5月22日 | ||
安倍 能成 | 国公立 | 東京帝国大学 | 幣原内閣 | 1946年1月13日 | 1946年5月22日 |
田中 耕太郎 | 国公立 | 東京帝国大学 | 第一次吉田内閣 | 1946年5月22日 | 1947年5月24日 |
高橋 誠一郎 | 私立 | 慶應義塾大学 | 第一次吉田内閣 | 1947年1月31日 | 1947年5月24日 |
片山 哲 | 国公立 | 東京帝国大学 | 片山内閣 | 1947年5月24日 | 1948年3月10日 |
森戸 辰男 | 国公立 | 東京帝国大学 | 片山内閣 | 1947年6月1日 | 1948年3月10日 |
森戸 辰男 | 芦田内閣 | 1948年3月10日 | 1948年10月15日 | ||
下條 康麿 | 国公立 | 東京帝国大学 | 第二次吉田内閣 | 1948年10月15日 | 1949年2月16日 |
高瀬 荘太郎 | 国公立 | 東京商業学校 | 第三次吉田内閣 | 1949年2月16日 | 1950年6月28日 |
天野 貞祐 | 国公立 | 京都帝国大学 | 第三次吉田内閣 | 1950年5月6日 | 1950年6月28日 |
天野 貞祐 | 第三次吉田内閣・第一次改造内閣 | 1950年6月28日 | 1951年7月4日 | ||
天野 貞祐 | 第三次吉田内閣・第二次改造内閣 | 1951年7月4日 | 1951年12月26日 | ||
天野 貞祐 | 第三次吉田内閣・第三次改造内閣 | 1951年12月26日 | 1952年10月30日 | ||
岡野 清豪 | 国公立 | 東京帝国大学 | 第三次吉田内閣・第三次改造内閣 | 1952年8月12日 | 1952年10月30日 |
岡野 清豪 | 第四次吉田内閣 | 1952年10月30日 | 1953年5月21日 | ||
大達 茂雄 | 国公立 | 東京帝国大学 | 第五次吉田内閣 | 1953年5月21日 | 1954年12月10日 |
安藤 正純 | 国公立 | 東京専門学校 | 第一次鳩山一郎内閣 | 1954年12月10日 | 1955年3月19日 |
松村 謙三 | 私立 | 早稲田大学 | 第二次鳩山一郎内閣 | 1955年3月19日 | 1955年11月22日 |
清瀬 一郎 | 国公立 | 京都帝国大学 | 第三次鳩山一郎内閣 | 1955年11月22日 | 1956年12月23日 |
灘尾 弘吉 | 国公立 | 東京帝国大学 | 石橋内閣 | 1956年12月23日 | 1957年2月25日 |
灘尾 弘吉 | 第一次岸内閣 | 1957年2月25日 | 1957年7月10日 | ||
松永 東 | 私立 | 早稲田大学 | 第一次岸内閣・第一次改造内閣 | 1957年7月10日 | 1958年6月12日 |
灘尾 弘吉 | 国公立 | 東京帝国大学 | 第二次岸内閣 | 1958年6月12日 | 1959年6月18日 |
橋本 龍伍 | 国公立 | 東京帝国大学 | 第二次岸内閣 | 1958年12月31日 | 1959年6月18日 |
橋本 龍伍 | 第二次岸内閣 | 1959年1月12日 | 1959年6月18日 | ||
松田 竹千代 | 海外 | ニューヨーク大学 | 第二次岸内閣・第二次改造内閣 | 1959年6月18日 | 1960年7月19日 |
荒木 万寿夫 | 国公立 | 京都帝国大学 | 第一次池田内閣 | 1960年7月19日 | 1960年12月8日 |
荒木 万寿夫 | 第二次池田内閣 | 1960年12月8日 | 1961年7月18日 | ||
荒木 万寿夫 | 第二次池田内閣・第一次改造内閣 | 1961年7月18日 | 1962年7月18日 | ||
荒木 万寿夫 | 第二次池田内閣・第二次改造内閣 | 1962年7月18日 | 1963年7月18日 | ||
灘尾 弘吉 | 国公立 | 東京帝国大学 | 第二次池田内閣・第三次改造内閣 | 1963年7月18日 | 1963年12月9日 |
灘尾 弘吉 | 第三次池田内閣 | 1963年12月9日 | 1964年7月18日 | ||
愛知 揆一 | 国公立 | 東京帝国大学 | 第三次池田内閣・第一次改造内閣 | 1964年7月18日 | 1964年11月9日 |
愛知 揆一 | 第一次佐藤内閣 | 1964年11月9日 | 1965年6月3日 | ||
中村 梅吉 | 私立 | 法政大学 | 第一次佐藤内閣・第一次改造内閣 | 1965年6月3日 | 1966年8月1日 |
有田 喜一 | 国公立 | 東京帝国大学 | 第一次佐藤内閣・第二次改造内閣 | 1966年8月1日 | 1966年12月3日 |
剱木 亨弘 | 国公立 | 東京帝国大学 | 第一次佐藤内閣・第三次改造内閣 | 1966年12月3日 | 1967年2月17日 |
剱木 亨弘 | 第二次佐藤内閣 | 1967年2月17日 | 1967年11月25日 | ||
灘尾 弘吉 | 国公立 | 東京帝国大学 | 第二次佐藤内閣・第一次改造内閣 | 1967年11月25日 | 1968年11月30日 |
坂田 道太 | 国公立 | 東京帝国大学 | 第二次佐藤内閣・第二次改造内閣 | 1968年11月30日 | 1970年1月14日 |
坂田 道太 | 第三次佐藤内閣 | 1970年1月14日 | 1971年7月5日 | ||
高見 三郎 | 私立 | 関西大学 | 第三次佐藤内閣・改造内閣 | 1971年7月5日 | 1972年7月7日 |
稲葉 修 | 私立 | 中央大学 | 第一次田中角栄内閣 | 1972年7月7日 | 1972年12月22日 |
奥野 誠亮 | 国公立 | 東京帝国大学 | 第二次田中角栄内閣 | 1972年12月22日 | 1973年11月25日 |
奥野 誠亮 | 第二次田中角栄内閣・第一次改造内閣 | 1973年11月25日 | 1974年11月11日 | ||
三原 朝雄 | 私立 | 明治大学 | 第二次田中角栄内閣・第二次改造内閣 | 1974年11月11日 | 1974年12月9日 |
永井 道雄 | 国公立 | 京都帝国大学 | 三木内閣 | 1974年12月9日 | 1976年9月15日 |
永井 道雄 | 三木内閣・改造内閣 | 1976年9月15日 | 1976年12月24日 | ||
海部 俊樹 | 私立 | 早稲田大学 | 福田赳夫内閣 | 1976年12月24日 | 1977年11月28日 |
砂田 重民 | 私立 | 立教大学 | 福田赳夫内閣・改造内閣 | 1977年11月28日 | 1978年12月7日 |
内藤 誉三郎 | 国公立 | 東京文理科大学 | 第一次大平内閣 | 1978年12月7日 | 1979年11月9日 |
大平 正芳 | 国公立 | 東京商科大学 | 第二次大平内閣 | 1979年11月9日 | 1980年6月12日 |
谷垣 專一 | 国公立 | 東京帝国大学 | 第二次大平内閣 | 1979年11月20日 | 1980年6月12日 |
田中 龍夫 | 国公立 | 東京帝国大学 | 鈴木善幸内閣 | 1980年7月17日 | 1982年11月27日 |
瀬戸山 三男 | 私立 | 明治大学 | 第一次中曽根内閣 | 1982年11月27日 | 1983年12月27日 |
森 喜朗 | 私立 | 早稲田大学 | 第二次中曽根内閣 | 1983年12月27日 | 1984年11月1日 |
松永 光 | 私立 | 中京大学 | 第二次中曽根内閣・第一次改造内閣 | 1984年11月1日 | 1985年12月28日 |
海部 俊樹 | 私立 | 早稲田大学 | 第二次中曽根内閣・第二次改造内閣 | 1985年12月28日 | 1986年7月22日 |
藤尾 正行 | 私立 | 上智大学 | 第三次中曽根内閣 | 1986年7月22日 | 1987年11月6日 |
塩川 正十郎 | 私立 | 慶応義塾大学 | 第三次中曽根内閣 | 1986年9月9日 | 1987年11月6日 |
中島 源太郎 | 私立 | 慶応義塾大学 | 竹下内閣 | 1987年11月6日 | 1988年12月27日 |
西岡 武夫 | 私立 | 早稲田大学 | 竹下内閣・改造内閣 | 1988年12月27日 | 1989年6月3日 |
西岡 武夫 | 宇野内閣 | 1989年6月3日 | 1989年8月10日 | ||
石橋 一弥 | 私立 | 日本農士学校 | 第一次海部内閣 | 1989年8月10日 | 1990年2月28日 |
保利 耕輔 | 私立 | 慶応義塾大学 | 第二次海部内閣 | 1990年2月28日 | 1990年12月29日 |
井上 裕 | 私立 | 旧制東京歯科医学専門学校 | 第二次海部内閣・改造内閣 | 1990年12月29日 | 1991年11月5日 |
鳩山 邦夫 | 国公立 | 東京大学 | 宮澤内閣 | 1991年11月5日 | 1992年12月12日 |
森山 眞弓 | 国公立 | 東京大学 | 宮澤内閣・改造内閣 | 1992年12月12日 | 1993年8月9日 |
赤松 良子 | 私立 | 津田塾専門学校 | 細川内閣 | 1993年8月9日 | 1994年4月28日 |
赤松 良子 | 羽田内閣 | 1994年4月28日 | 1994年6月30日 | ||
与謝野 馨 | 国公立 | 東京大学 | 村山内閣 | 1994年6月30日 | 1995年8月8日 |
島村 宜伸 | 私立 | 学習院大学 | 村山内閣・改造内閣 | 1995年8月8日 | 1996年1月11日 |
奥田 幹生 | 私立 | 早稲田大学 | 第一次橋本内閣 | 1996年1月11日 | 1996年11月7日 |
小杉 隆 | 国公立 | 東京大学 | 第二次橋本内閣 | 1996年11月7日 | 1997年9月11日 |
町村 信孝 | 国公立 | 東京大学 | 第二次橋本内閣・改造内閣 | 1997年9月11日 | 1998年7月30日 |
有馬 朗人 | 国公立 | 東京大学 | 小渕内閣 | 1998年7月30日 | 1999年1月14日 |
有馬 朗人 | 小渕内閣・第一次改造内閣 | 1999年1月14日 | 1999年10月5日 | ||
中曽根 弘文 | 私立 | 慶応義塾大学 | 小渕内閣・第二次改造内閣 | 1999年10月5日 | 2000年4月5日 |
中曽根 弘文 | 第一次森内閣 | 2000年4月5日 | 2000年7月4日 | ||
大島 理森 | 私立 | 慶応義塾大学 | 第二次森内閣 | 2000年7月4日 | 2000年12月5日 |
町村 信孝 | 国公立 | 東京大学 | 第二次森内閣・改造内閣 | 2000年12月5日 | 2001年1月6日 |
町村 信孝 | 第二次森内閣・改造内閣(省庁再編後) | 2001年1月6日 | 2001年4月26日 | ||
遠山 敦子 | 国公立 | 東京大学 | 第一次小泉内閣 | 2001年4月26日 | 2002年9月30日 |
遠山 敦子 | 第一次小泉内閣・第一次改造内閣 | 2002年9月30日 | 2003年9月22日 | ||
河村 建夫 | 私立 | 慶応義塾大学 | 第一次小泉内閣・第二次改造内閣 | 2003年9月22日 | 2003年11月19日 |
河村 建夫 | 第二次小泉内閣 | 2003年11月19日 | 2004年9月27日 | ||
中山 成彬 | 国公立 | 東京大学 | 第二次小泉内閣・改造内閣 | 2004年9月27日 | 2005年9月21日 |
中山 成彬 | 第三次小泉内閣 | 2005年9月21日 | 2005年10月31日 | ||
小坂 憲次 | 私立 | 慶応義塾大学 | 第三次小泉内閣・改造内閣 | 2005年10月31日 | 2006年9月26日 |
伊吹 文明 | 国公立 | 京都大学 | 第一次安倍内閣 | 2006年9月26日 | 2007年8月27日 |
伊吹 文明 | 第一次安倍内閣・改造内閣 | 2007年8月27日 | 2007年9月26日 | ||
渡海 紀三朗 | 私立 | 早稲田大学 | 福田康夫内閣 | 2007年9月26日 | 2008年8月2日 |
鈴木 恒夫 | 私立 | 早稲田大学 | 福田康夫内閣・改造内閣 | 2008年8月2日 | 2008年9月24日 |
塩谷 立 | 私立 | 慶応義塾大学 | 麻生内閣 | 2008年9月24日 | 2009年9月16日 |
川端 達夫 | 国公立 | 京都大学 | 鳩山由紀夫内閣 | 2009年9月16日 | 2010年6月8日 |
川端 達夫 | 菅直人内閣 | 2010年6月8日 | 2010年9月17日 | ||
髙木 義明 | 国公立 | 山口県立下関工業高等学校 | 菅直人内閣・第一次改造内閣 | 2010年9月17日 | 2011年1月14日 |
高木 義明 | 菅直人内閣・第二次改造内閣 | 2011年1月14日 | 2011年9月2日 | ||
中川 正春 | 海外 | ジョージタウン大学 | 野田内閣 | 2011年9月2日 | 2012年1月14日 |
平野 博文 | 私立 | 中央大学 | 野田内閣・第一次改造内閣 | 2012年1月14日 | 2012年6月4日 |
平野 博文 | 野田内閣・第二次改造内閣 | 2012年6月4日 | 2012年10月1日 | ||
田中 眞紀子 | 私立 | 早稲田大学 | 野田内閣・第三次改造内閣 | 2012年10月1日 | 2012年12月26日 |
下村 博文 | 私立 | 早稲田大学 | 第二次安倍内閣 | 2012年12月26日 | 2014年9月3日 |
下村 博文 | 第二次安倍内閣・改造内閣 | 2014年9月3日 | 2014年12月24日 | ||
下村 博文 | 第三次安倍内閣 | 2014年12月24日 | 2015年10月7日 | ||
馳 浩 | 私立 | 専修大学 | 第三次安倍内閣・第一次改造内閣 | 2015年10月7日 | 2016年8月3日 |
松野 博一 | 私立 | 早稲田大学 | 第三次安倍内閣・第二次改造内閣 | 2016年8月3日 | 2017年8月3日 |
林 芳正 | 国公立 | 東京大学 | 第三次安倍内閣・第三次改造内閣 | 2017年8月3日 | 2017年11月1日 |
林 芳正 | 第四次安倍内閣 | 2017年11月1日 | 2018年10月2日 | ||
柴山 昌彦 | 国公立 | 東京大学 | 第四次安倍内閣・第一次改造内閣 | 2018年10月2日 | 2019年9月11日 |
萩生田 光一 | 私立 | 明治大学 | 第四次安倍内閣・第二次改造内閣 | 2019年9月11日 | 2020年9月16日 |
萩生田 光一 | 菅義偉内閣 | 2020年9月16日 | 2021年10月4日 | ||
末松 信介 | 私立 | 関西大学 | 第一次岸田内閣 | 2021年10月4日 | 2021年11月10日 |
末松 信介 | 第二次岸田内閣 | 2021年11月10日 | 2022年8月10日 | ||
永岡 桂子 | 私立 | 学習院大学 | 第二次岸田内閣・第一次改造内閣 | 2022年8月10日 | 2023年9月13日 |
盛山 正仁 | 国公立 | 東京大学 | 第二次岸田内閣・第二次改造内閣 | 2023年9月13日 | 2024年10月1日 |
あべ 俊子 | 海外 | イリノイ大学シカゴ校大学院 | 第一次石破内閣 | 2024年10月1日 | 2024年11月11日 |
第二次石破内閣 | 2024年11月11日 | (現在) |
学校の説明
旧い大学で、現在は名称が変わっているものや廃校になっているものも多数あります。簡単な説明を以下にまとめています。
- 開成所(薩摩藩)…1864年創立の薩摩藩の藩校。同じく薩摩藩の藩校である造士館に通う優秀な者が選抜されて通った。
- 昌平坂学問所…徳川幕府直轄の学問所。漢学中心に講義。1871年に廃止。
- 長崎養生所…日本最初の西洋式近代病院で、長崎大学医学部の前身。
- 弘道館…1781年創立の佐賀藩の藩校。天下三弘道館のひとつ。
- 時習館…1755年創立の熊本藩の藩校で、横井小楠が塾頭を務めたこともあった。
- 学習院…宮内省管轄の学校で、華族の子弟なら無試験で入学できた。
- 蕃書調所…東京大学の前身で、翻訳事業や幕府子弟に英学・蘭学を教授。
- 開成所(江戸)…蕃書調所から改組された学校。
- 工学寮…東京大学・工学部の前身。
- 興譲館…1785年創立の徳山藩(長州藩の支藩)の藩校。
- 明倫館…1718年創立の長州藩の藩校で、日本三大学府の一つに数えられる。
- 咸宜園(かんぎえん)…広瀬淡窓によって1805年に創立された全寮制の私塾。
- 開成学校…1872年創立の官立の学校で、後の東京帝国大学。
- 旧東京大学…開成学校と東京医学校が統合してできた明治時代の大学で、後の東京帝国大学。現在の東京大学の前身の前身。
- 長崎医学校…長崎養生所の後身で、後の長崎大学医学部。
- 帝国大学…旧東京大学から改組されてできた大学で、後の東京帝国大学、東京大学。
- 東京高等師範学校…1886年創立の官立の高等師範学校。「教育の総本山」と称される。後に東京大学に改組される。
- 海軍兵学校…1876年創立の大日本帝国海軍の将校育成教育機関。
- 日本法律学校…1889年に司法大臣山田顕義が創立した法律学校で、日本大学の前身。
- 東京商業学校…1875年創立の商法講習所の後身。後の一橋大学。
- 陸軍大学校…1882年創立の大日本帝国陸軍の参謀将校養成機関。
- 京都帝国大学…1897年創立の帝大で、後の京都大学。
- 陸軍士官学校…1874年創立の大日本帝国陸軍の軍人養成機関。陸軍大学校が参謀養成機関なのに対して陸軍士官学校は現場の軍人養成機関。
- 東京専門学校…1882年に大隈重信が創立した私立学校で、後の早稲田大学。
- 東京文理科大学…1929年創立の官立の文理科大学で、後の東京教育大学(1978年廃止)。
- 日本農士学校…1931年創立の学校で、農家の経営手法を学ぶ私立学校。
- 旧制東京歯科医学専門学校…1890年創立の日本最古の歯科専門学校で、後の東京歯科大学。
- 津田塾専門学校…現・津田塾大学。
文部科学大臣に多い学歴
国公立大学・私立大学の種別にしぼった結果を以下の表にまとめています。
大学種別 | のべ数 | ||
国公立大学 | 94 | 1885年~1981年 | 78 |
1982年~(現在) | 15 | ||
私立大学 | 47 | 1885年~1981年 | 18 |
1982年~(現在) | 30 |
歴代の文部科学大臣・文部大臣の学歴を振り返ると、出身大学にかなり偏りがみられます。
合計では国公立大学出身者が私立の2倍
1885年から現在(2024年12月時点)に至るまで、国公立大学出身者はのべ93名、私立大学出身はのべ48名でした。
合計では国公立大学出身者のほうが2倍近く多いですが、時代ごとにみると状況がかなり異なります。
1981年までは8割が国公立大学出身者
1981年までは8割が現・東京大学や藩校などの国公立大学出身者でした。
1982年以降は私立大学出身者のほうが多い
ところが、1982年以降は私立大学出身者のほうが多くなり、約2倍もいます。
文部科学大臣の出身大学ランキング
文部科学大臣・文部大臣の出身大学を、数の多い順に並べると以下のようになります。
現大学名 | のべ出身者数(名) |
東京大学 | 58 |
慶應義塾大学 | 16 |
早稲田大学 | 14 |
京都大学 | 7 |
海軍/陸軍の学校 | 5 |
明治大学 | 3 |
長崎大学医学部 | 3 |
一橋大学 | 2 |
学習院大学 | 2 |
上智大学 | 1 |
中京大学 | 1 |
立教大学 | 1 |
法政大学 | 1 |
専修大学 | 1 |
関西大学 | 1 |
東京歯科大学 | 1 |
その他 | 25 |
1955年以降に出身大学が多様化
初代内閣からしばらくの間、出身大学は現・東京大学か現・慶應義塾大学が大半でした。戦後もしばらく現・東京大学出身者がつづきます。
ところが、1955年以降は早稲田大学出身者が増えてきます。ほかに中央大学や関西大学、専修大学など出身大学が多様化していきます。
1955年以降で特に増えるのが早稲田大学です。早稲田出身者だけで全体の2割を占めます。
偏差値60以上の難関大学が9割以上
現在の基準でいう偏差値60以上の難関大学は全体の9割以上を占めそうです。
60を下回ると思われる大学は全部で7つのみで、ほかはおおむね60以上と考えて良さそうです。
出身大学の多様化は進んでいますが、文部科学大臣・文部大臣になるにはやはり高い学歴が必要だと分かります。
学歴と文部科学大臣の政策への影響

大学出身別に見る文部科学大臣の政策傾向
歴代の文部科学大臣には、東京大学や京都大学などの国内トップ校出身者が多く見られます。これらの出身者は、一般的にエリート教育を重視する政策や研究開発への予算配分を推進する傾向があります。
一方、地方大学や海外大学出身者は、地方教育やグローバル化を意識した政策を掲げることが多いです。
例えば、地方出身の大臣が地域の教育格差問題に取り組むケースがあり、それぞれのバックグラウンドが政策に反映されています。
文部科学大臣と教育現場の連携|学歴が果たす役割
文部科学大臣の学歴は、教育現場や専門家との信頼関係構築に影響を与えることがあります。例えば、高い学歴を持つ大臣は、教育関係者や科学者と共通の視点を持つことで円滑な連携を図りやすい一方で、現場の実情を把握する努力が求められることもあります。
また、大臣が実務経験や教育現場に精通している場合、現実的で効果的な政策を展開する可能性が高まります。
このように、学歴は重要な要素の一つですが、それだけでなく実績や現場理解が政策成功の鍵となります。
エリート主義と文部科学大臣の学歴

文部科学大臣に見るエリート主義の影響
文部科学大臣は、日本の教育政策を担うトップとして、しばしば「エリート校」とされる大学の出身者が選ばれる傾向があります。特に、東京大学や京都大学といった旧帝国大学出身者が多い背景には、官僚機構の人材育成や日本の伝統的な学歴重視文化が影響しています。
こうした偏りは、政策形成における視点の偏りと多様性の欠如にもつながり得ます。
例えば、特定の教育制度で成功した人が中心となることで、非エリート層が直面する課題が十分に議論されないリスクがあります。
この傾向は教育政策の公平性や包括性に影響を与える可能性があり、特に地域間格差や教育機会の不平等が問題視されています。
文部科学省のエリート主義と教育政策の課題
文部科学省の官僚機構や大臣の学歴に根付く「エリート主義」は、教育政策に影響を及ぼしています。
エリート校出身者が意思決定の中核を担う場合、政策は「成功体験」に基づいて形成されがちであり、必ずしもすべての国民の実情に即しているとは限りません。
例えば、地域の公立校や過疎地の教育現場が抱える課題は、都市部の名門校の経験とは異なる場合が多いです。
また、エリート主義がもたらす課題として、教育現場との乖離や、現場の声が政策に反映されにくいことが挙げられます。さらに、学歴だけで評価される風潮が、教育現場のイノベーションや新しいアプローチを妨げる可能性も指摘されています。
このため、学歴に頼らない多様な視点や経験を持つ人材の活用が、今後の重要な課題となるでしょう。
なお、エリート主義について以下の記事で詳しく解説しています。
エリート主義の影響と問題点は何か?経済的不平等やポピュリズムとの関係などを日本とフランスの実例から紹介
注目された文部科学大臣の学歴とその背景
話題になった文部科学大臣
例として、下村博文氏(早稲田大学出身)は教育改革や大学のグローバル化を推進し注目されました。また、林芳正氏(東京大学出身)は国際的な視点を持つ政策で評価されています。
これらの大臣は、それぞれの学歴や経歴を活かしながら、個性的な政策を打ち出しています。
文部科学大臣に「異色」の経歴を持つ人物たち
主要大学出身ではないものの、独自の視点で活躍した文部科学大臣も存在します。
例えば、石破内閣で文部科学大臣を務めるあべ俊子大臣は短大を卒業後、看護士をして、群馬大学で講師を務めた後、海外の大学院に進んでいます。
地方大学や海外で学んだ経験を持つ大臣は、地方教育の充実や国際化をテーマに掲げたことがあります。
このような異色の経歴を持つ大臣は、多様な価値観や視点を政策に反映させることで、新しいアプローチを提案し、注目を集めています。
文部科学大臣と学歴|未来への展望
今後の文部科学大臣に求められる資質と学歴の在り方
少子化や教育格差などの課題に対応するため、文部科学大臣には学歴以上に柔軟な思考力や実務経験が求められます。また、国際的な視野を持ち、グローバルな教育改革を推進できる能力も必要です。
学歴はその基盤の一つであり、補完的な役割を果たします。
文部科学大臣の学歴を超えたリーダーシップの重要性
大臣としての信頼を得るためには、学歴だけではなく、リーダーシップや実績が不可欠です。
例えば、教育現場との対話を重視し、実際の課題を解決する能力が求められます。多様性のあるリーダーシップが、日本の教育の未来を切り開く鍵となるでしょう。
文部科学大臣・文部大臣の学歴に関するQ&A
Q1: 文部科学大臣の学歴はどのような傾向がありますか?
A:
歴代の文部科学大臣には、東京大学や京都大学といった旧帝国大学出身者が多く見られます。これらの大学は、行政や政策形成で活躍する官僚を多く輩出しており、学歴が政策への信頼感に影響を与えてきました。一方で、地方大学や海外大学出身者も一定数存在し、それぞれの視点が政策に反映されています。
Q2: 学歴が文部科学大臣にどの程度重要ですか?
A:
学歴自体が法的な要件ではありませんが、教育行政や科学技術政策を管轄する立場として、学歴は象徴的な要素とされています。しかし、実際には学歴よりも、教育政策への理解や現場との連携力、リーダーシップが重要視されています。
Q3: 文部科学大臣に多い出身大学はどこですか?
A:
東京大学が最も多く、次いで京都大学や早稲田大学、慶應義塾大学などが挙げられます。これらの大学は、教育政策や行政に強い人材を輩出しており、特に官僚としてのキャリアを経た大臣に多く見られます。
Q4: 文部大臣時代と文部科学大臣時代で学歴の傾向に違いはありますか?
A:
文部大臣時代(1949年以前)は、戦後の混乱期に対応するため、地方大学や軍関係の経験を持つ人物も多く起用されました。一方、文部科学大臣に改組された後は、東京大学や京都大学といった高学歴の出身者が多い傾向にあります。これには、現代の複雑化する教育政策や科学技術分野への対応が求められる背景があります。
Q5: 学歴以外で文部科学大臣に求められる資質は何ですか?
A:
教育現場や科学技術政策への深い理解、リーダーシップ、政策立案能力が重要です。また、少子化や教育格差といった現代の課題に柔軟に対応する能力や、国際的な視野も求められます。学歴はこれらの資質を補完する要素として位置づけられます。
Q6: 「エリート主義」と文部科学大臣の学歴には関連がありますか?
A:
歴代文部科学大臣の学歴が特定の大学に偏る傾向があるため、「エリート主義」と指摘されることがあります。この傾向が教育政策や行政の視点を狭める可能性が懸念されています。一方、多様な学歴や経歴を持つ人物が大臣になることで、新しい視点が政策に反映されることが期待されています。
Q7: 他国の教育大臣と日本の文部科学大臣の学歴に違いはありますか?
A:
日本では高学歴(旧帝国大学や有名私立大学)出身者が多いのに対し、他国では教育現場の経験や専門知識を重視する傾向があります。例えば、北欧諸国では教師経験者が教育大臣に就任することが一般的であり、現場の視点が政策に反映されやすい仕組みとなっています。
Q8: 文部科学大臣に「異色」の経歴を持つ人物はいますか?
A:
はい、います。例えば、地方大学出身者や非官僚系の経歴を持つ大臣も存在し、現場経験や多様な視点を持ち込んでいます。これにより、地域教育の格差や教育制度の課題に対する新しいアプローチが試みられることもあります。
Q9: 今後の文部科学大臣にはどのような学歴や経歴が求められますか?
A:
グローバル化が進む中、国際的な視野や教育現場の多様性を反映できる経歴が求められます。学歴は重要な要素の一つであるものの、それ以上に現場の課題に即応する能力や、多様なバックグラウンドを持つリーダーシップが期待されています。
Q10: 文部科学大臣の学歴についての情報はどこで確認できますか?
A:
文部科学省の公式ウェブサイトや歴代大臣のプロフィール情報を確認することで、学歴や経歴の詳細を知ることができます。また、新聞や専門書籍でも歴史的背景や政策との関連性が紹介されることがあります。
まとめ
歴代の文部科学大臣・文部大臣の出身大学を紹介しました。
一番多いのは現・東京大学の出身者で、全体の4割以上です。
また、全体の7割近くは国公立大学出身者で占めています。ただし、1982年以降に限ってみてみると、私立大学出身者が6割以上になります。
社会の多様化を反映しているのか、文部科学大臣の出身大学も多様化していることが分かります。
【参考】
文部科学省
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