内閣の大臣職のひとつである「法務大臣」。かつては司法大臣や法務総裁という名前でした。
財務大臣や外務大臣、内閣官房長官ほどはクローズアップされない印象がありますが、国の人材を育成するための重要な役割です。
そんな歴代の法務大臣や司法大臣を一覧で紹介します。通算在職日数や所属内閣も一緒に一覧化しています。
また、歴代でも法務大臣や司法大臣を長く務めた人をランキング形式で10人紹介します。
※現役の大臣はランキングから除外しています。
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法務大臣の役割
法務大臣の役割は「司法行政に関する業務の遂行」です。具体的な役割は以下の通りです。
法案の立案と提出
法務省が所管する法律の改正案や新法案の立案を行い、国会に提出します。
例えば、性犯罪に関する刑法改正が議論された際には、法務大臣が中心となって改正案をまとめ、被害者保護の観点を取り入れた厳罰化を図りました。その過程で法務省内の意見調整や有識者との協議を行い、最終的に国会に法案を提出し成立に至っています。
司法の公正確保
検察庁を通じて、犯罪の捜査や起訴を指導し、司法の公正を確保します。
裁判員制度の導入や取調べ室の可視化などの司法制度改革に取り組んでいます。
人権擁護
人権擁護活動を推進し、差別や虐待の防止に努めます。
法務省には、人権擁護局という専門の部門があり、人権に関するさまざまな問題に対処しています。人権相談の受付はもちろん、児童虐待防止やLGBTQ+の権利を守るキャンペーンの展開などを実施しています。
なお、ヘイトスピーチと表現の自由について以下の記事で詳しく解説しています。
表現の自由とは?その定義・範囲や、ヘイトスピーチ・ネット上の誹謗中傷など現代の課題を徹底解説
法務大臣の設置と歴史的背景
法務大臣のポストは、1947年に日本国憲法が施行された際に新たに設置されました。その背景には、日本の近代化と法治国家の確立を目指す意図がありました。
戦前の司法省が1948年に法務庁へ改組され、その後1949年には法務省として独立した省庁となります。この組織改編により、司法行政と立法の分離が明確化され、行政の中で司法関連を専門に扱う役割が法務大臣に与えられました。
また、この改編は戦後日本が民主的な法制度を目指す重要な一歩であり、国民の権利保護と法の支配を強化するものでした。
司法権は立法権・行政権とともに三権分立の一角をなしています。
三権分立について以下の記事で詳しく解説しています。
三権分立とは:国会・内閣・裁判所の三権の相互作用や国民とのかかわりを解説
法務大臣や司法大臣の一覧
氏名 | 担当 | 内閣 | 在職期間 | 在職日数(日) | |
山田 顕義 | 司法大臣 | 第一次伊藤内閣 | 1885年12月22日 | 1888年4月30日 | 861 |
山田 顕義 | 司法大臣 | 黒田内閣 | 1888年4月30日 | 1889年10月25日 | 544 |
山田 顕義 | 司法大臣 | 第一次山縣内閣 | 1889年12月24日 | 1891年5月6日 | 499 |
山田 顕義 | 司法大臣 | 第一次松方内閣 | 1891年5月6日 | 1891年6月1日 | 27 |
田中 不二麿 | 司法大臣 | 第一次松方内閣 | 1891年6月1日 | 1892年6月23日 | 389 |
河野 敏鎌 | 司法大臣 | 第一次松方内閣 | 1892年6月23日 | 1892年8月8日 | 47 |
山縣 有朋 | 司法大臣 | 第二次伊藤内閣 | 1892年8月8日 | 1893年3月11日 | 216 |
芳川 顕正 | 司法大臣 | 第二次伊藤内閣 | 1893年3月16日 | 1896年8月31日 | 1265 |
芳川 顕正 | 司法大臣 | 第二次松方内閣 | 1896年9月18日 | 1896年9月26日 | 9 |
清浦 奎吾 | 司法大臣 | 第二次松方内閣 | 1896年9月26日 | 1898年1月12日 | 474 |
曾禰 荒助 | 司法大臣 | 第三次伊藤内閣 | 1898年1月12日 | 1898年6月30日 | 170 |
大東 義徹 | 司法大臣 | 第一次大隈内閣 | 1898年6月30日 | 1898年11月8日 | 132 |
清浦 奎吾 | 司法大臣 | 第二次山縣内閣 | 1898年11月8日 | 1900年10月19日 | 712 |
金子 堅太郎 | 司法大臣 | 第四次伊藤内閣 | 1900年10月19日 | 1901年5月10日 | 204 |
清浦 奎吾 | 司法大臣 | 第一次桂内閣 | 1901年6月2日 | 1903年9月22日 | 843 |
波多野 敬直 | 司法大臣 | 第一次桂内閣 | 1903年9月22日 | 1906年1月7日 | 839 |
松田 正久 | 司法大臣 | 第一次西園寺内閣 | 1906年1月7日 | 1908年3月25日 | 809 |
千家 尊福 | 司法大臣 | 第一次西園寺内閣 | 1908年3月25日 | 1908年7月14日 | 112 |
岡部 長職 | 司法大臣 | 第二次桂内閣 | 1908年7月14日 | 1911年8月30日 | 1143 |
松田 正久 | 司法大臣 | 第二次西園寺内閣 | 1911年8月30日 | 1912年12月21日 | 480 |
松室 致 | 司法大臣 | 第三次桂内閣 | 1912年12月21日 | 1913年2月20日 | 62 |
松田 正久 | 司法大臣 | 山本内閣 | 1913年2月20日 | 1913年11月11日 | 265 |
奥田 義人 | 司法大臣 | 山本内閣 | 1913年11月11日 | 1914年3月6日 | 116 |
奥田 義人 | 司法大臣 | 山本内閣 | 1914年3月6日 | 1914年4月16日 | 42 |
尾崎 行雄 | 司法大臣 | 第二次大隈内閣 | 1914年4月16日 | 1915年10月9日 | 542 |
松室 致 | 司法大臣 | 寺内内閣 | 1916年10月9日 | 1918年9月29日 | 721 |
原 敬 | 司法大臣 | 原内閣 | 1918年9月29日 | 1920年5月15日 | 595 |
大木 遠吉 | 司法大臣 | 原内閣 | 1920年5月15日 | 1921年11月4日 | 539 |
大木 遠吉 | 司法大臣 | 高橋内閣 | 1921年11月13日 | 1922年6月12日 | 212 |
岡野 敬次郎 | 司法大臣 | 加藤友三郎内閣 | 1922年6月12日 | 1923年9月2日 | 448 |
田 健治郎 | 司法大臣 | 第二次山本内閣 | 1923年9月2日 | 1923年9月6日 | 5 |
平沼騏一郎 | 司法大臣 | 第二次山本内閣 | 1923年9月6日 | 1924年1月7日 | 124 |
鈴木 喜三郎 | 司法大臣 | 清浦内閣 | 1924年1月7日 | 1924年6月11日 | 157 |
横田 千之助 | 司法大臣 | 加藤高明内閣 | 1924年6月11日 | 1926年1月30日 | 599 |
高橋 是清 | 司法大臣 | 加藤高明内閣 | 1925年2月5日 | 1925年2月9日 | 5 |
小川 平吉 | 司法大臣 | 加藤高明内閣 | 1925年2月9日 | 1925年8月2日 | 175 |
江木 翼 | 司法大臣 | 加藤高明内閣 | 1925年8月2日 | 1926年1月30日 | 182 |
江木 翼 | 司法大臣 | 第一次若槻内閣 | 1926年1月30日 | 1927年4月20日 | 446 |
原 嘉道 | 司法大臣 | 田中義一内閣 | 1927年4月20日 | 1929年7月2日 | 805 |
渡邊 千冬 | 司法大臣 | 濱口内閣 | 1929年7月2日 | 1931年4月14日 | 652 |
渡邊 千冬 | 司法大臣 | 第二次若槻内閣 | 1931年4月14日 | 1931年12月13日 | 244 |
鈴木 喜三郎 | 司法大臣 | 犬養内閣 | 1931年12月13日 | 1932年3月25日 | 104 |
川村 竹治 | 司法大臣 | 犬養内閣 | 1932年3月25日 | 1932年5月26日 | 63 |
小山 松吉 | 司法大臣 | 斎藤内閣 | 1932年5月26日 | 1934年7月8日 | 774 |
小原 直 | 司法大臣 | 岡田内閣 | 1934年7月8日 | 1936年3月9日 | 611 |
林 頼三郎 | 司法大臣 | 廣田内閣 | 1936年3月9日 | 1937年2月2日 | 331 |
塩野 季彦 | 司法大臣 | 林内閣 | 1937年2月2日 | 1937年6月4日 | 123 |
塩野 季彦 | 司法大臣 | 第一次近衛内閣 | 1937年6月4日 | 1939年1月5日 | 581 |
塩野 季彦 | 司法大臣 | 平沼内閣 | 1939年1月5日 | 1939年8月30日 | 238 |
宮城 長五郎 | 司法大臣 | 安部内閣 | 1939年8月30日 | 1940年1月16日 | 140 |
木村 尚達 | 司法大臣 | 米内内閣 | 1940年1月16日 | 1940年7月22日 | 189 |
風見 章 | 司法大臣 | 第二次近衛内閣 | 1940年7月22日 | 1940年12月21日 | 153 |
柳川 平助 | 司法大臣 | 第二次近衛内閣 | 1940年12月21日 | 1941年7月18日 | 210 |
近衞 文麿 | 司法大臣 | 第三次近衛内閣 | 1941年7月18日 | 1941年7月25日 | 8 |
岩村 通世 | 司法大臣 | 第三次近衛内閣 | 1941年7月25日 | 1941年10月18日 | 86 |
岩村 通世 | 司法大臣 | 東條内閣 | 1941年10月18日 | 1944年7月22日 | 1009 |
松阪 広政 | 司法大臣 | 小磯内閣 | 1944年7月22日 | 1945年4月7日 | 260 |
松阪 広政 | 司法大臣 | 鈴木貫太郎内閣 | 1945年4月7日 | 1945年8月17日 | 133 |
岩田 宙造 | 司法大臣 | 東久邇宮内閣 | 1945年8月17日 | 1945年10月9日 | 54 |
岩田 宙造 | 司法大臣 | 幣原内閣 | 1945年10月9日 | 1946年5月22日 | 226 |
木村 篤太郎 | 司法大臣 | 第一次吉田内閣 | 1946年5月22日 | 1947年5月24日 | 368 |
片山 哲 | 司法大臣 | 片山内閣 | 1947年5月24日 | 1948年3月10日 | 292 |
鈴木 義男 | 司法大臣 | 片山内閣 | 1947年6月1日 | 1948年2月15日 | 260 |
鈴木 義男 | 法務総裁 | 片山内閣 | 1948年2月15日 | 1948年3月10日 | 25 |
鈴木 義男 | 法務総裁 | 芦田内閣 | 1948年3月10日 | 1948年10月15日 | 220 |
吉田 茂 | 法務総裁 | 第二次吉田内閣 | 1948年10月15日 | 1949年2月16日 | 125 |
殖田 俊吉 | 法務総裁 | 第二次吉田内閣 | 1948年11月7日 | 1949年2月16日 | 102 |
殖田 俊吉 | 法務総裁 | 第三次吉田内閣 | 1949年2月16日 | 1950年6月28日 | 498 |
大橋 武夫 | 法務総裁 | 第三次吉田内閣・第一次改造内閣 | 1950年6月28日 | 1951年7月4日 | 372 |
大橋 武夫 | 法務総裁 | 第三次吉田内閣・第二次改造内閣 | 1951年7月4日 | 1951年12月26日 | 176 |
木村 篤太郎 | 法務総裁 | 第三次吉田内閣・第三次改造内閣 | 1951年12月26日 | 1952年8月1日 | 220 |
木村 篤太郎 | 法務大臣 | 第三次吉田内閣・第三次改造内閣 | 1952年8月1日 | 1952年10月30日 | 91 |
犬養 健 | 法務大臣 | 第四次吉田内閣 | 1952年10月30日 | 1953年5月21日 | 204 |
犬養 健 | 法務大臣 | 第五次吉田内閣 | 1953年5月21日 | 1954年4月2日 | 317 |
加藤 鐐五郎 | 法務大臣 | 第五次吉田内閣 | 1954年4月2日 | 1954年6月19日 | 79 |
小原 直 | 法務大臣 | 第五次吉田内閣 | 1954年6月19日 | 1954年12月10日 | 175 |
花村 四郎 | 法務大臣 | 第一次鳩山一郎内閣 | 1954年12月10日 | 1955年3月19日 | 100 |
花村 四郎 | 法務大臣 | 第二次鳩山一郎内閣 | 1955年3月19日 | 1955年11月22日 | 249 |
牧野 良三 | 法務大臣 | 第三次鳩山一郎内閣 | 1955年11月22日 | 1956年12月23日 | 398 |
中村 梅吉 | 法務大臣 | 石橋内閣 | 1956年12月23日 | 1957年2月25日 | 65 |
中村 梅吉 | 法務大臣 | 第一次岸内閣 | 1957年2月25日 | 1957年7月10日 | 136 |
唐澤 俊樹 | 法務大臣 | 第一次岸内閣・第一次改造内閣 | 1957年7月10日 | 1958年6月12日 | 338 |
愛知 揆一 | 法務大臣 | 第二次岸内閣 | 1958年6月12日 | 1959年6月18日 | 372 |
井野 碩哉 | 法務大臣 | 第二次岸内閣・第二次改造内閣 | 1959年6月18日 | 1960年7月19日 | 398 |
小島 徹三 | 法務大臣 | 第一次池田内閣 | 1960年7月19日 | 1960年12月8日 | 143 |
植木 庚子郎 | 法務大臣 | 第二次池田内閣 | 1960年12月8日 | 1961年7月18日 | 223 |
植木 庚子郎 | 法務大臣 | 第二次池田内閣・第一次改造内閣 | 1961年7月18日 | 1962年7月18日 | 366 |
中垣 國男 | 法務大臣 | 第二次池田内閣・第二次改造内閣 | 1962年7月18日 | 1963年7月18日 | 366 |
賀屋 興宣 | 法務大臣 | 第二次池田内閣・第三次改造内閣 | 1963年7月18日 | 1963年12月9日 | 145 |
賀屋 興宣 | 法務大臣 | 第三次池田内閣 | 1963年12月9日 | 1964年7月18日 | 223 |
高橋 等 | 法務大臣 | 第三次池田内閣・第一次改造内閣 | 1964年7月18日 | 1964年11月9日 | 115 |
高橋 等 | 法務大臣 | 第一次佐藤内閣 | 1964年11月9日 | 1965年6月3日 | 207 |
石井 光次郎 | 法務大臣 | 第一次佐藤内閣・第一次改造内閣 | 1965年6月3日 | 1966年8月1日 | 425 |
石井 光次郎 | 法務大臣 | 第一次佐藤内閣・第二次改造内閣 | 1966年8月1日 | 1966年12月3日 | 125 |
田中 伊三次 | 法務大臣 | 第一次佐藤内閣・第三次改造内閣 | 1966年12月3日 | 1967年2月17日 | 77 |
田中 伊三次 | 法務大臣 | 第二次佐藤内閣 | 1967年2月17日 | 1967年11月25日 | 282 |
赤間 文三 | 法務大臣 | 第二次佐藤内閣・第一次改造内閣 | 1967年11月25日 | 1968年11月30日 | 372 |
西郷 吉之助 | 法務大臣 | 第二次佐藤内閣・第二次改造内閣 | 1968年11月30日 | 1970年1月14日 | 411 |
小林 武治 | 法務大臣 | 第三次佐藤内閣 | 1970年1月14日 | 1971年7月5日 | 538 |
秋田 大助 | 法務大臣 | 第三次佐藤内閣 | 1971年2月9日 | 1971年2月17日 | 9 |
植木 庚子郎 | 法務大臣 | 第三次佐藤内閣 | 1971年2月17日 | 1971年7月5日 | 139 |
前尾 繁三郎 | 法務大臣 | 第三次佐藤内閣・改造内閣 | 1971年7月5日 | 1972年7月7日 | 369 |
郡 祐一 | 法務大臣 | 第一次田中角栄内閣 | 1972年7月7日 | 1972年12月22日 | 169 |
田中 伊三次 | 法務大臣 | 第二次田中角栄内閣 | 1972年12月22日 | 1973年11月25日 | 339 |
中村 梅吉 | 法務大臣 | 第二次田中角栄内閣・第一次改造内閣 | 1973年11月25日 | 1974年11月11日 | 352 |
濱野 清吾 | 法務大臣 | 第二次田中角栄内閣・第二次改造内閣 | 1974年11月11日 | 1974年12月9日 | 29 |
稲葉 修 | 法務大臣 | 三木内閣 | 1974年12月9日 | 1976年9月15日 | 647 |
稲葉 修 | 法務大臣 | 三木内閣・改造内閣 | 1976年9月15日 | 1976年12月24日 | 101 |
福田 一 | 法務大臣 | 福田赳夫内閣 | 1976年12月24日 | 1977年10月5日 | 286 |
瀬戸山 三男 | 法務大臣 | 福田赳夫内閣 | 1977年10月5日 | 1977年11月28日 | 55 |
瀬戸山 三男 | 法務大臣 | 福田赳夫内閣・改造内閣 | 1977年11月28日 | 1978年12月7日 | 375 |
古井 喜実 | 法務大臣 | 第一次大平内閣 | 1978年12月7日 | 1979年11月9日 | 338 |
倉石 忠雄 | 法務大臣 | 第二次大平内閣 | 1979年11月9日 | 1980年6月12日 | 217 |
奥野 誠亮 | 法務大臣 | 鈴木善幸内閣 | 1980年7月17日 | 1981年11月30日 | 502 |
坂田 道太 | 法務大臣 | 鈴木善幸内閣・改造内閣 | 1981年11月30日27日 | 1982年11月 | 363 |
秦野 章 | 法務大臣 | 第一次中曽根内閣 | 1982年11月27日 | 1983年12月27日 | 396 |
住 栄作 | 法務大臣 | 第二次中曽根内閣 | 1983年12月27日 | 1984年11月1日 | 311 |
嶋崎 均 | 法務大臣 | 第二次中曽根内閣・第一次改造内閣 | 1984年11月1日 | 1985年12月28日 | 423 |
鈴木 省吾 | 法務大臣 | 第二次中曽根内閣・第二次改造内閣 | 1985年12月28日 | 1986年7月22日 | 207 |
遠藤 要 | 法務大臣 | 第三次中曽根内閣 | 1986年7月22日 | 1987年11月6日 | 473 |
林田 悠紀夫 | 法務大臣 | 竹下内閣 | 1987年11月6日 | 1988年12月27日 | 418 |
長谷川 峻 | 法務大臣 | 竹下内閣・改造内閣 | 1988年12月27日 | 1988年12月30日 | 4 |
高辻 正己 | 法務大臣 | 竹下内閣・改造内閣 | 1988年12月30日 | 1989年6月3日 | 156 |
谷川 和穂 | 法務大臣 | 宇野内閣 | 1989年6月3日 | 1989年8月10日 | 69 |
後藤 正夫 | 法務大臣 | 第一次海部内閣 | 1989年8月10日 | 1990年2月28日 | 203 |
長谷川 信 | 法務大臣 | 第二次海部内閣 | 1990年2月28日 | 1990年9月13日 | 198 |
梶山 静六 | 法務大臣 | 第二次海部内閣 | 1990年9月13日 | 1990年12月29日 | 108 |
左藤 恵 | 法務大臣 | 第二次海部内閣・改造内閣 | 1990年12月29日 | 1991年11月5日 | 312 |
田原 隆 | 法務大臣 | 宮澤内閣 | 1991年11月5日 | 1992年12月12日 | 404 |
後藤田 正晴 | 法務大臣 | 宮澤内閣・改造内閣 | 1993年4月8日 | 1993年8月9日 | 124 |
三ヶ月 章 | 法務大臣 | 細川内閣 | 1993年8月9日 | 1994年4月28日 | 263 |
永野 茂門 | 法務大臣 | 羽田内閣 | 1994年4月28日 | 1994年6月30日 | 64 |
中井 洽 | 法務大臣 | 羽田内閣 | 1994年5月8日 | 1994年6月30日 | 54 |
前田 勲男 | 法務大臣 | 村山内閣 | 1994年6月30日 | 1995年8月8日 | 405 |
田沢 智治 | 法務大臣 | 村山内閣・改造内閣 | 1995年8月8日 | 1995年10月9日 | 63 |
宮澤 弘 | 法務大臣 | 村山内閣・改造内閣 | 1995年10月9日 | 1996年1月11日 | 95 |
長尾 立子 | 法務大臣 | 第一次橋本内閣 | 1996年1月11日 | 1996年11月7日 | 302 |
松浦 功 | 法務大臣 | 第二次橋本内閣 | 1996年11月7日 | 1997年9月11日 | 309 |
下稲葉 耕吉 | 法務大臣 | 第二次橋本内閣・改造内閣 | 1997年9月11日 | 1998年7月30日 | 323 |
中村 正三郎 | 法務大臣 | 小渕内閣 | 1998年7月30日 | 1999年1月14日 | 169 |
中村 正三郎 | 法務大臣 | 小渕内閣・第一次改造内閣 | 1999年1月14日 | 1999年3月8日 | 54 |
陣内 孝雄 | 法務大臣 | 小渕内閣・第一次改造内閣 | 1999年3月8日 | 1999年10月5日 | 212 |
臼井 日出男 | 法務大臣 | 小渕内閣・第二次改造内閣 | 1999年10月5日 | 2000年4月5日 | 184 |
臼井 日出男 | 法務大臣 | 第一次森内閣 | 2000年4月5日 | 2000年7月4日 | 91 |
保岡 興治 | 法務大臣 | 第二次森内閣 | 2000年7月4日 | 2000年12月5日 | 155 |
高村 正彦 | 法務大臣 | 第二次森内閣・改造内閣 | 2000年12月5日 | 2001年1月6日 | 33 |
高村 正彦 | 法務大臣 | 第二次森内閣・改造内閣(省庁再編後) | 2001年1月6日 | 2001年4月26日 | 111 |
森山 眞弓 | 法務大臣 | 第一次小泉内閣 | 2001年4月26日 | 2002年9月30日 | 523 |
森山 眞弓 | 法務大臣 | 第一次小泉内閣・第一次改造内閣 | 2002年9月30日 | 2003年9月22日 | 358 |
野沢 太三 | 法務大臣 | 第一次小泉内閣・第二次改造内閣 | 2003年9月22日 | 2003年11月19日 | 59 |
野沢 太三 | 法務大臣 | 第二次小泉内閣 | 2003年11月19日 | 2004年9月27日 | 314 |
南野 知惠子 | 法務大臣 | 第二次小泉内閣・改造内閣 | 2004年9月27日 | 2005年9月21日 | 360 |
南野 知惠子 | 法務大臣 | 第三次小泉内閣 | 2005年9月21日 | 2005年10月31日 | 41 |
杉浦 正健 | 法務大臣 | 第三次小泉内閣・改造内閣 | 2005年10月31日 | 2006年9月26日 | 331 |
長勢 甚遠 | 法務大臣 | 第一次安倍内閣 | 2006年9月26日 | 2007年8月27日 | 336 |
鳩山 邦夫 | 法務大臣 | 第一次安倍内閣・改造内閣 | 2007年8月27日 | 2007年9月26日 | 31 |
鳩山 邦夫 | 法務大臣 | 福田康夫内閣 | 2007年9月26日 | 2008年8月2日 | 312 |
保岡 興治 | 法務大臣 | 福田康夫内閣・改造内閣 | 2008年8月2日 | 2008年9月24日 | 54 |
森 英介 | 法務大臣 | 麻生内閣 | 2008年9月24日 | 2009年9月16日 | 358 |
千葉 景子 | 法務大臣 | 鳩山由紀夫内閣 | 2009年9月16日 | 2010年6月8日 | 266 |
千葉 景子 | 法務大臣 | 菅直人内閣 | 2010年6月8日 | 2010年9月17日 | 102 |
柳田 稔 | 法務大臣 | 菅直人内閣・第一次改造内閣 | 2010年9月17日 | 2011年1月14日 | 120 |
仙谷 由人 | 法務大臣 | 菅直人内閣・第一次改造内閣 | 2010年9月17日 | 2011年1月14日 | 120 |
江田 五月 | 法務大臣 | 菅直人内閣・第二次改造内閣 | 2011年1月14日 | 2011年9月2日 | 232 |
平岡 秀夫 | 法務大臣 | 野田内閣 | 2011年9月2日 | 2012年1月14日 | 135 |
小川 敏夫 | 法務大臣 | 野田内閣・第一次改造内閣 | 2012年1月14日 | 2012年6月4日 | 143 |
滝 実 | 法務大臣 | 野田内閣・第二次改造内閣 | 2012年6月4日 | 2012年10月1日 | 120 |
田中 慶秋 | 法務大臣 | 野田内閣・第三次改造内閣 | 2012年10月1日 | 2012年12月26日 | 87 |
小平 忠正 | 法務大臣 | 野田内閣・第三次改造内閣 | 2012年10月1日 | 2012年10月24日 | 24 |
滝 実 | 法務大臣 | 野田内閣・第三次改造内閣 | 2012年10月24日 | 2012年12月26日 | 64 |
谷垣 禎一 | 法務大臣 | 第二次安倍内閣 | 2012年12月26日 | 2014年9月3日 | 617 |
上川 陽子 | 法務大臣 | 第二次安倍内閣・改造内閣 | 2014年9月3日 | 2014年9月3日 | 1 |
松島 みどり | 法務大臣 | 第二次安倍内閣・改造内閣 | 2014年9月3日 | 2014年10月21日 | 49 |
上川 陽子 | 法務大臣 | 第三次安倍内閣 | 2014年12月24日 | 2015年10月7日 | 288 |
岩城 光英 | 法務大臣 | 第三次安倍内閣・第一次改造内閣 | 2015年10月7日 | 2016年8月3日 | 302 |
金田 勝年 | 法務大臣 | 第三次安倍内閣・第二次改造内閣 | 2016年8月3日 | 2017年8月3日 | 366 |
上川 陽子 | 法務大臣 | 第三次安倍内閣・第三次改造内閣 | 2017年8月3日 | 2017年11月1日 | 91 |
上川 陽子 | 法務大臣 | 第四次安倍内閣 | 2017年11月1日 | 2018年10月2日 | 336 |
山下 貴司 | 法務大臣 | 第四次安倍内閣・第一次改造内閣 | 2018年10月2日 | 2019年9月11日 | 345 |
河井 克行 | 法務大臣 | 第四次安倍内閣・第二次改造内閣 | 2019年9月11日 | 2019年10月31日 | 51 |
森 まさこ | 法務大臣 | 第四次安倍内閣・第二次改造内閣 | 2019年10月31日 | 2020年9月16日 | 322 |
上川 陽子 | 法務大臣 | 菅義偉内閣 | 2020年9月16日 | 2021年10月4日 | 384 |
古川 禎久 | 法務大臣 | 第一次岸田内閣 | 2021年10月4日 | 2021年11月10日 | 38 |
古川 禎久 | 法務大臣 | 第二次岸田内閣 | 2021年11月10日 | 2022年8月10日 | 274 |
齋藤 健 | 法務大臣 | 第二次岸田内閣・第一次改造内閣 | 2022年11月11日 | 2023年9月13日 | 307 |
葉梨 康弘 | 法務大臣 | 第二次岸田内閣・第一次改造内閣 | 2022年8月10日 | 2022年11月11日 | 94 |
小泉 龍司 | 法務大臣 | 第二次岸田内閣・第二次改造内閣 | 2023年9月13日 | (現在) | (現在) |
※関連記事:法務大臣別の死刑執行命令数
首相経験者は1人だけ
総理大臣の兼務をのぞくと、法務大臣(司法大臣)の経験者で総理大臣になった人は清浦奎吾氏ただ1人です。
財務大臣や外務大臣とくらべて世間の知名度が高くなりにくく、党内の派閥力学でもややランクダウンしてしまいます。
※関連記事:大臣の格付けランキング:歴代内閣総理大臣が何の大臣をしていたことが多いかを紹介
法務大臣・司法大臣の在任日数ランキング
法務大臣、司法大臣、法務総裁の在任日数の長かった人をランキング形式で紹介します。
1位:清浦 奎吾氏(2029日)
1位は清浦奎吾氏で2029日でした。明治時代に松方内閣、山縣内閣、桂内閣で司法大臣を務めています。
現在の刑事訴訟法の制定に関与し、高く評価されていました。その後山縣有朋らから登用されて司法大臣などを歴任しています。
2位:山田 顕義氏(1931日)
2位は山田顕義氏で1931日でした。
戦場指揮官として高く評価され、「小ナポレオン」とも呼ばれて陸軍少将を務めています。同時に法律を重視して若い頃から勉強し、大日本帝国憲法作成時に「私擬憲法」を提出するほどでした。
その後、大日本帝国憲法の作成・公布・施行に中心的にたずさわっています。
また、日本大学の前身である日本法律学校を創立しています。
3位:松田 正久氏(1554日)
3位は松田正久氏で1554日です。西園寺内閣、山本内閣で司法大臣を務めています。
自由民権運動員身を投じていましたが、2位の山田顕義氏に評価されて司法省に出仕。その後、司法大臣になっています。
68歳で亡くなっており、もう少し長生きしていれば総理大臣にもなっていたかもしれなかったそうです。
ドケチだったとも言われています。
4位:芳川 顕正氏(1274日)
4位は芳川顕正氏で1274日です。明治時代に伊藤内閣、松方内閣で司法大臣を務めています。
文部大臣としても史上2番目の在任日数であり、内務大臣も長く務めています。
明治時代の内閣運営の中心人物のひとりとして活躍していました。
5位:岡部 長職氏(1143日)
5位は岡部長職氏で1143日です。明治時代に桂内閣で司法大臣を務めています。
岸和田藩最後の藩主であり、明治になってからは福沢諭吉の慶應義塾で農民や商人の子と一緒に勉学にはげんでいます。さらにアメリカのイエール大学に留学。学問熱心で貴族院の中心的人物となり、司法大臣として1911年の大逆事件の処理に奔走しました。
1~10位の一覧
氏名 | 通算在職日数(日) | 内閣 | 時代 |
清浦 奎吾 | 2029 | ・松方内閣 ・山縣内閣 ・桂内閣 | 明治 |
山田 顕義 | 1931 | ・伊藤内閣 ・黒田内閣 ・山縣内閣 ・松方内閣 | 明治 |
松田 正久 | 1554 | ・西園寺内閣 ・山本内閣 | ・明治 ・大正 |
芳川 顕正 | 1274 | ・伊藤内閣 ・松方内閣 | 明治 |
岡部 長職 | 1143 | 桂内閣 | 明治 |
上川 陽子 | 1099 | ・安倍内閣 ・菅義偉内閣 | ・平成 ・令和 |
岩村 通世 | 1095 | ・近衛内閣 ・東條内閣 | 昭和(戦前) |
塩野 季彦 | 942 | ・林内閣 ・近衛内閣 ・平沼内閣 | 昭和(戦前) |
渡邊 千冬 | 896 | ・濱口内閣 ・若槻内閣 | 昭和(戦前) |
森山 眞弓 | 881 | 小泉内閣 | 平成 |
戦後に法務大臣を長く務めた人は少ない
法務大臣(司法大臣)の在任日数をみると、1位~5位は全員明治時代を中心に大臣を務めた人たちです。10位までみても、戦後(1945年以降)にランクインしているのは上川陽子氏と森山眞弓氏の2名だけ。ほかは全員戦前です。
さらに、戦後に通算1000日以上務めた人は上川陽子氏の1名だけです。
歴代法務大臣の時代ごとの役割
戦前・戦後の日本において、司法大臣・法務大臣は時代ごとに異なる役割と課題に直面してきました。
戦前の法務大臣に求められた役割
戦前の日本では、司法行政を管轄していたのは「司法大臣」であり、現在の法務大臣に近い役割を担っていました。この時代の司法大臣の役割には以下のような点が含まれていました。
- 法の統治の確立
明治時代以降、日本は近代化の一環として法治国家を目指していました。司法大臣は、日本法の整備や運用を通じて国の統治を支える役割を果たしました。明治憲法に基づく法制度の整備や、裁判制度の安定化が求められました。 - 治安維持と国家権力の強化
戦前は治安維持法の運用を含む治安対策が重視され、社会主義や共産主義思想の弾圧が進められました。司法大臣はこれらの施策を主導し、国家の安定を保つ役割を担いました。 - 軍国主義との連携
太平洋戦争期には、戦争遂行に関連する法整備や治安維持が重要視され、国家総力戦体制を法的に支える役割が求められました。
戦後の高度経済成長期の法務大臣に求められた役割
戦後の日本は、民主主義と法の支配を基盤とする新しい社会構造の構築を目指しました。この時代の法務大臣には以下の役割が求められました。
- 法制度の民主化と再建
戦後、法務省の設置とともに、戦前の抑圧的な法制度からの脱却が求められました。法務大臣は憲法や民法、刑法の改正、さらには戦犯処理など、戦後の法制度再建に関わる重要な責務を負いました。 - 経済活動を支える法整備
高度経済成長期には、経済活動の拡大に対応した商法、労働法、会社法の整備が進められました。法務大臣は企業活動を円滑に進めるための法的基盤を強化する役割を果たしました。 - 社会の安定と治安対策
経済発展に伴い発生する犯罪や労働争議への対応も重要な課題でした。刑事司法の強化や、矯正・保護観察制度の改善が求められました。
現代の法務大臣に求められる役割
現代においては、社会の多様化や国際化が進む中で、法務大臣の役割はさらに複雑化しています。
- 国際的な司法行政の推進
国際犯罪への対応や、国際的な司法協力が重要です。特に、テロ対策や移民問題への法的対応は、現代の法務大臣に求められる役割の一つです。 - 人権問題と多様性の推進
ジェンダー平等や多文化共生社会の実現に向けた取り組みが期待されています。具体的には、LGBTQ+の権利保障やヘイトスピーチ対策法の運用が挙げられます。 - デジタル社会への対応
サイバー犯罪の増加やAIの普及に伴い、デジタル社会に対応した新しい法整備が急務です。これには、個人情報保護法やデータセキュリティに関する法改正が含まれます。 - 透明性の高い行政運営
国民の信頼を得るため、透明性と説明責任を重視した法務行政の実現が求められています。
歴代法務大臣の中で注目された人物
戦後の司法行政を支えた法務大臣TOP3
上川陽子氏|死刑執行命令や法改正で注目された女性法務大臣
上川陽子氏は、法務大臣としての在任期間最長の政治家です。
国際仲裁センターの誘致に尽力するなど、改革派の政治家として有名です。オウム事件や闇サイト殺人事件など社会を揺るがした衝撃事件の死刑囚に死刑執行命令を出しています。その数は、鳩山邦夫氏を抜いて戦後最多(16名)です。
法務大臣以外にも積極的に動き、2023年には最年長の70歳で外務大臣に就任しています。
なお、歴代の外務大臣について以下の記事で詳しく解説しています。
歴代の外務大臣一覧:関税自主権回復の立て役者や首相経験者など外務大臣を長く務めた政治家をまとめて紹介
岩田宙造氏|法曹一元化を推進した革新的な司法大臣
岩田宙造氏は、戦後の司法行政の重要な改革である法曹一元化(法曹経験者や弁護士経験者から検察官や裁判官を任用する制度)を推進した司法大臣として知られています。
裁判官・検察官・弁護士の経験を統合し、司法の独立性と公平性を高める取り組みを主導しました。その結果、司法制度の近代化が進み、市民の司法への信頼を向上させました。
戦後の混乱期において、法制度の根幹を支える改革を実現した彼の役割は現在も評価されています。
森山眞弓氏|人権擁護と多様性推進に尽力した女性初の法務大臣
森山眞弓氏は労働省の官僚として男女雇用機会均等法の成立に尽力した後、政治家に転身。1989年には女性唯一(2024年12月時点)の官房長官を務めています。
2001年に法務大臣に就任。司法行政における人権擁護の観点を重視しました。犯罪被害者支援やジェンダー平等の推進を図り、法務行政の柔軟性と多様性を高めました。
特に、刑事政策における被害者支援策や再犯防止プログラムの充実に取り組み、法と社会の結びつきを強化しました。
彼女の革新的なリーダーシップは、後進の女性リーダーに道を拓くものでした。
初代司法大臣・山田顕義とその業績
山田顕義(1844-1892)は、初代司法大臣として明治政府の近代法制の基盤構築に大きく貢献しました。
西南戦争後の司法改革を主導し、明治憲法や六法の整備に関わる法体系の近代化を推進。また、日本の法曹教育の礎を築き、司法実務者の育成を重視しました。
特に、外国法を取り入れつつ日本独自の法制度を作り上げた功績は大きく、司法行政の近代化において重要な役割を果たしました。
法務大臣の決断が話題になった事例
法務大臣の職務の中でも特に注目されるのが死刑執行命令です。鳩山邦夫氏が在任中に多数の死刑執行命令を出したことは、国内外で大きな議論を呼びました。
一方で、慎重な対応を取った左藤恵氏のように、宗教上の理由で死刑執行命令を出さなかった人物もいました。
また、法改正を進める中での政治的な決断も注目されます。例えば、入国管理法の改正や犯罪対策強化に関する政策決定が挙げられます。これらの事例は、法務大臣がいかに難しい判断を迫られるかを示しています。
なお、死刑執行命令について以下の記事で詳しく解説しています。
法務大臣別の死刑執行命令数:平成以降の最多の大臣、昭和での最多の大臣などを紹介
法務大臣の役割と日本社会の変化
歴代法務大臣が直面した社会課題
戦後の復興期には、戦犯処理や戦後法制度の整備が課題でした。その後、経済成長期には労働法や商法の整備、近年では移民問題やサイバー犯罪への対応が求められています。
また、国際化が進む中で、日本の法制度を国際基準に合わせる動きも加速しています。
これらの課題に直面しながら、法務大臣は司法行政の方向性を示す重要な役割を果たしています。
現代の法務大臣に求められる資質とは?
現代の法務大臣には、国際的な視点と柔軟な対応力が求められます。例えば、移民問題や人権問題、ジェンダー平等に関する議論は、国内外での調整が必要です。
また、デジタル社会への対応として、サイバー犯罪やAIの法的規制も新たな課題となっています。
さらに、国民とのコミュニケーションを重視し、透明性の高い政策運営を行うリーダーシップが不可欠です。
法務大臣と司法行政の未来
今後の法務大臣に期待される役割
法務大臣は、デジタル化や国際的な司法協力など、次世代の課題に対応する責任があります。具体的には、データ保護法の強化や、国際犯罪への対応力を高める必要があります。
また、ジェンダー平等や多文化共生社会の実現に向けた法改正にも注力すべきです。未来の法務行政を担うリーダーとして、イノベーションと伝統を両立する姿勢が求められます。
歴代法務大臣から学ぶリーダーシップの重要性
過去の法務大臣が直面した成功と失敗からは、多くの教訓を得ることができます。たとえば、政策の実現には、国民の信頼を得る透明性のある運営が不可欠です。また、迅速な決断力と慎重な検討のバランスも重要です。
これらの要素は、現代および未来の法務大臣が効果的なリーダーシップを発揮する上での指針となります。
まとめ
歴代の法務大臣や司法大臣を一覧で紹介しました。
司法の長官を長く務めた人は明治時代が多く、戦後に通算1000日以上務めた人は上川陽子氏しかいません。
法務大臣や司法大臣を経験して内閣総理大臣になった人も史上1人だけ(清浦奎吾氏)で、やはり明治時代でした。
法務大臣は死刑執行かスキャンダルぐらいしかメディアの話題にのぼらないことも多いですが、法治国家の安定という大きな役割を担っています。今後の政治情勢によって法務大臣経験者が首相になっていくこともあるでしょう。
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