1つの内閣には10数人の国務大臣がいます。財務大臣など重要なポストでは同じ政治家がたびたび任命されています。
そこで、大臣を長く務めた政治家をランキング形式で紹介します。
※関連記事:大臣を多く務めた回数ランキング
大臣の通算在職日数ランキング
歴代大臣経験者を、通算在職日数の多い順に5人紹介します。
なお、総理大臣経験者については、総理大臣在任中の日数をのぞいています。また、現役の大臣は除外しています。
1位:宮澤喜一氏(5777日)
1位は宮澤喜一氏です。通算5777日大臣職を務めました。以下、大臣経歴です。
内閣 | 在職期間 | 担当 | |
池田勇人内閣 | 1962年7月18日 | 1964年7月18日 | 経済企画庁長官 |
佐藤栄作内閣 | 1966年12月3日 | 1968年11月30日 | 経済企画庁長官 |
佐藤栄作内閣 | 1970年1月14日 | 1971年7月5日 | 通商産業大臣 |
三木武夫内閣 | 1974年12月9日 | 1976年9月15日 | 外務大臣 |
福田赳夫内閣 | 1977年11月28日 | 1978年12月7日 | 経済企画庁長官 |
鈴木善幸内閣 | 1980年7月17日 | 1982年11月27日 | 内閣官房長官 |
中曽根康弘内閣 竹下登内閣 | 1986年7月22日 | 1988年12月27日 | 大蔵大臣 |
小渕恵三内閣 森喜朗内閣 | 1998年7月30日 | 2001年4月26日 | 大蔵大臣/財務大臣 |
1962年の池田勇人内閣から2001年森喜朗内閣まで50年の間に、16年近く大臣だったことになります。
経済企画庁長官や大蔵大臣/財務大臣、外務大臣、内閣官房長官といった重要ポストを歴任しています。
また、1991年から1993年には自身が内閣総理大臣を務めており、大臣職の長さから言えば史上最も第一線で活躍しつづけた政治家と言えそうです。
2位:西郷 従道(5357日)
2位は明治の元老、西郷従道氏です。薩摩藩出身の元老として、藩閥政府の中心的人物の一人でした。西郷隆盛の弟としても知られています。
以下、大臣経歴です。
内閣 | 在職期間 | 担当 | |
伊藤博文内閣 黒田清隆内閣 | 1885年12月22日 | 1889年10月25日 | 海軍大臣 |
山縣有朋内閣 松方正義内閣 伊藤博文内閣 | 1889年12月24日 | 1896年8月31日 | 海軍大臣 内務大臣 |
松方正義内閣 伊藤博文内閣 大隈重信内閣 山縣有朋内閣 | 1896年9月18日 | 1900年10月19日 | 海軍大臣 内務大臣 |
当時の藩閥政府では薩摩藩出身者(西郷従道氏、大山巌氏)が海軍を担当し、長州藩出身者(山縣有朋氏)が陸軍を担当するという構図でした。この構成で政府をかろうじて安定させていたようです。
海軍のトップとして明治時代の内閣をささえ、1894-1895年の日清戦争を乗り切るための重要な礎になっていました。
3位:芳川 顕正氏(4792日)
3位は明治時代に活躍した政治家である芳川顕正氏です。1842年生まれの岡山県出身で、藩閥の後ろ盾はありませんでしたが、長州藩出身者と交友を持っていたことから大臣への道が開けました。
幕末に伊藤博文氏と知り合い、明治になってから山縣有朋氏に信頼され重用されました。
以下、大臣経歴です。
内閣 | 在職期間 | 担当 | |
山縣有朋内閣 松方正義内閣 伊藤博文内閣 | 1891年5月6日 | 1896年8月31日 | 文部大臣 司法大臣 内務大臣 |
松方正義内閣 伊藤博文内閣 | 1896年9月18日 | 1898年6月30日 | 司法大臣 内務大臣 |
山縣有朋内閣 | 1898年11月8日 | 1900年10月19日 | 逓信大臣 内務大臣 |
桂太郎内閣 | 1901年6月2日 | 1906年1月7日 | 逓信大臣 |
文部大臣として教育勅語を制定するなど明治時代の重要な政治家として活躍しました。
4位:麻生 太郎(4726日)
4位は平成から令和にかけて活躍した麻生太郎氏です。射撃の日本代表でオリンピックにも出場歴があり、べらんめえ口調でも人気がありました。
1位の宮澤喜一氏同様に総理大臣も経験し、総理大臣を辞職後も国務大臣を長く務めました。
以下、国務大臣としての経歴です。
内閣 | 在職期間 | 担当 | |
橋本龍太郎内閣 | 1996年11月7日 | 1997年9月11日 | 経済企画庁長官 |
森喜朗内閣 | 2001年1月6日 | 2001年4月26日 | 経済財政政策担当大臣 |
小泉内閣 安倍内閣 | 2003年9月22日 | 2007年8月27日 | 総務大臣 外務大臣 |
安倍内閣 菅義偉内閣 | 2012年12月26日 | 2021年10月4日 | デフレ脱却・円高対策担当 財務大臣 内閣府特命担当大臣 |
経済企画庁長官や財務大臣といった財政部門を担当したほか、第三次小泉内閣や第一次安倍内閣では外務大臣も務めました。
5・6位:榎本 武揚氏・大山 巌氏(4329日)
5位は榎本武揚氏と大山巌氏で4329日です。2人とも明治時代の政府の要職を歴任した人物で、榎本武揚氏は徳川幕府の役人として戊辰戦争で明治政府と戦った経歴もあります。
また、大山巌氏は西郷隆盛の従兄弟で、薩摩藩出身者として陸軍を率いました。
以下、2人の大臣経歴です。
【榎本武揚氏】
内閣 | 在職期間 | 担当 | |
伊藤博文内閣 黒田清隆内閣 | 1885年12月22日 | 1889年10月25日 | 逓信大臣 文部大臣 農商務大臣 |
山縣有朋内閣 松方正義内閣 伊藤博文内閣 | 1889年12月24日 | 1896年8月31日 | 外務大臣 文部大臣 農商務大臣 |
松方正義内閣 | 1896年9月18日 | 1898年1月12日 | 農商務大臣 |
北海道の開拓に携わり、後にメキシコへの殖民計画を立てましたが失敗しています。豪放磊落な性格だったようで、文部大臣に就任した際に明治天皇から道徳教育の推進を要望されたにも関わらず半ば放置し、芳川顕正氏に交代させられています。
【大山巌氏】
内閣 | 在職期間 | 担当 | |
伊藤博文内閣 黒田清隆内閣 | 1885年12月22日 | 1889年10月25日 | 陸軍大臣 文部大臣 |
山縣有朋内閣 松方正義内閣 伊藤博文内閣 | 1889年12月24日 | 1896年8月31日 | 陸軍大臣 |
松方正義内閣 | 1896年9月18日 | 1898年1月12日 | 陸軍大臣 |
戊辰戦争のころから戦場指揮官としての経歴を積み、日清戦争、日露戦争では陸軍司令官として活躍しました。特に日露戦争での活躍は相手国であるロシア陸軍からも賞賛されていたようです。
7位~15位の一覧
氏名 | 在職日数 | 時代 |
高橋 是清 | 3908日 | 昭和(戦後) |
福田 赳夫 | 3700日 | 昭和(戦後) |
林 修三 | 3623日 | 昭和(戦後) |
倉石 忠雄 | 3507日 | 昭和(戦後) |
大平 正芳 | 3504日 | 昭和(戦後) |
三木 武夫 | 3345日 | 昭和(戦後) |
菅 義偉 | 3158日 | 平成・令和 |
保利 茂 | 3096日 | 昭和(戦後) |
中曽根 康弘 | 3058日 | 昭和(戦後) |
明治や戦後昭和の政治家が大半
7位~15位で菅義偉氏以外は全員戦後の昭和に活躍した政治家です。戦前は一人もいません。1位~15位のメンバーで在任期間をみると、1904年~1905年の日露戦争前の明治時代と1945年の終戦以降の昭和に大臣を経験していた人がランキング上位の大半を占めています。
日露戦争~太平洋戦争終結までの期間中に主に大臣を務めた人での最長日数は、重光葵氏の1059日でした。
国務大臣として任用される慣習も時代によって異なることが分かります。
上位15人のうち7人が総理大臣経験者
国務大臣職を長く務めた上位15人のうち、実に7人が総理大臣経験者でした。
宮澤喜一氏、麻生太郎氏、高橋是清氏、福田赳夫氏、大平正芳氏、菅義偉氏、中曾根康弘氏の7人です。
国務大臣を長く務め、実績や経験を積み、政界での評価を高めたうえで総理大臣になる機会を逃さないというのが昭和の総理大臣レースだったようです。
また、この7人に共通するのは、外務大臣や大蔵大臣・財務大臣など「外国部門」か「経済部門」を歴任したという点です。
国務大臣のエースのなかでも、「国務大臣として重宝される人」と「総理大臣になる人」に分かれるようです。
働くあなたに簡単レシピでバランスごはんをお届け♪食材宅配のヨシケイまとめ
大臣の在任日数の長い政治家をランキング形式で紹介しました。
1位は宮澤喜一氏で、通算5777日も大臣職を務めました。令和に大臣を務めた人のなかで最長は麻生太郎氏(4726日)でした。
また、戦後の昭和で総理大臣を務めた人や明治時代に大臣を務めていた人が多かったです。日露戦争から太平洋戦争終了までの期間に長く大臣を務めた人は上位にはいませんでした。
コメント